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うつノート

起き上がれなくなる、性欲も食欲もなくなる。このままでは死ぬしか無いという結論しか出なくなったのでまず死ぬ前に大学院を休もうと思って、履修していた授業を受けるのをやめ、応募してしまっていた学会から帰ってきてすぐに研究室のボスに少し休みますと連絡を入れた。やらないといけない発表を一つだけやってから休むことが許された。

休み始めて最初の方は、研究以外のことをするべく図書館に通って本を読んだり何か創作活動をしようと準備していた。しかし休んで1ヶ月ほど経ちそろそろ復帰した方がいいかなと思い初めてからまたダメになった。

毎日15時間ほど寝て過ごす。といっても本当に15時間毎日寝続けるのは無理で、うち10時間くらいは目は覚めているが目を瞑って妄想のような瞑想のような状態である。活字も読めなくなり、散歩にも行けなくなり、つまらないなと思いながら動画を見るくらいしか出来なくなった。自分はこれから先、どんなことに対しても活力が湧かなくなってしまったと思った。

何をしても起き上がれなくなって数ヶ月経ち、初めて楽しく意欲を持って起き上がってできるものを見つけた。それは『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』だった。ゲームは人生の無駄だと思ってずっとやっていなかったのだが、研究室の賢い先輩が「ゼルダは素晴らしい」と言っていたので、やってみた。そういうふうに誰か賢いと信じられる人間が勧めるものなど、教養として触れた方がいいと判断できないと映画やゲームなどに触れようと思えなくなってしまっていた。ゼルダは素晴らしかった。気力が枯渇して未来が考えられなくなり死んだも同然だと思っていた自分の中に気力がまだ残っていることを教えてくれた希望のようなゲームだった。

スイカゲームにもハマった。こちらはやりたくないのにやめられないという意味でハマった。進撃の巨人をラジオのように流し聴きしながら、スイカゲームを一日中やるという生活が三日間くらい続いたが、5時間毎くらいに、スイカゲームしか出来なくなった自分が情けなくて情けなくて号泣した。それでもやめられずにまた5時間経ったら泣いての繰り返しでついには同居人にSwitchを隠してもらってやっとやめられた。

最近は何かしらをきっかけに毎日泣いている。もともと2週に1度くらいは泣くので、普通のことだと思ったが周りに聞くと大人はあまり泣かないようである。どうやったら泣かない人間になれるのだろうか。小学6年生の時は、担任の先生に「もう6年なんだからそんなに泣いていたら下級生に示しがつかないでしょ、泣くのを我慢しなさい!」と怒られてさらに泣いたし(そのときに「別に泣いたっていいじゃん」と先生から庇ってくれた男の子を好きになった)、受験生の時は週2で泣いていたのでストレスが大きいときに泣くのは鬱の兆候でもなんでもなく普通のことだと思えた。

久しぶりに実家に帰った。最近どう?と聞かれたので、もう死にそうですと答えたら、「あなただけじゃなくて誰だって大変なんだから、好きなことをできているあなたは、大変だとしても乗り越えられるはずだよ」と言われて、全然好きなことなんてやってないと言って泣いた。親は2人とも親としてまともで社会的な人間だと思う。私が「大学院もう無理辞めるしか無い」と騒いでいるとき、大学の友達はみんな精神的なことに理解がある出来た人間ばかりなので、口を揃えて「辞めても良いと思うけど一旦休んでゆっくり考えてから決めたら?」と言ってくれるが、親の場合はちゃんと親らしく「やめるのはよくないんじゃない?考え方を変えたらきっとうまくいくよ。みんな辛いしあなたなら今までも出来たんだし出来るよ!頑張れ!」といった感じで、こういう保守的なことを言う人間が周りにいてそれが親というのもすごくまともな環境に私はいると思った。これは良いことだと思った。

修士に入ってから久しぶりに新しい友達ができた。修士でももらえる給付型奨学金の集まりで出会った。その女の子は、「私は好きなものに真っ直ぐに突っ走っちゃうタイプだ」って言いながら研究の話をそれはそれは楽しそうにしていて、もはや泣かない。あんまりにも研究を楽しそうに語っていて、自分の開発した新技術をもとに起業したいと熱く語っていて、平日休日どんな日でも研究室に12時間こもって実験して、ああこういう子が理想的なんだろうなと思った。理想的というのは、その場において理想的という意味だ。毎月ギリギリ一人暮らし出来るくらいの給与(給付型奨学金)をもらうためにはもちろん審査に通らないといけないのだが、そこで募集される理想的な人材がまさにこの女の子のような人だと思った。募集要項を端的にいうと、あなたにとって強く面白いと思える研究をやれ、金はあげるから他に気を取られずに熱中してやれ、ということだった。私はいかに自分の計画している研究が面白くて、私自身がいかに知的好奇心に溢れた人間なのかをアピールして受かった。私は大学に入ってから教養の呪いにかかってしまっていた。つまり、どんなものに対しても興味を持たないといけないという強迫観念を持つようになっていた。そのおかげでどんなにつまらないものでも一生懸命自分なりに面白いと思うことを探す癖ができた。そして、どんなものも等しく面白く、逆にいうとどんなものも等しく面白く無いと感じるようになり、私の中の好きの相対化をするための直感を失って、そして全ての物事に対する関心を失った。
その女の子にネガティブになることないの?と聞いてみた。「私は恵まれているって根本的に思ってるからあんまネガティブにはならないかも」と言っていた。私はおかしいと思った。私だって、自分が誰よりも恵まれていると信じていた。「私はこんなに才能にも環境にも運にも恵まれていて、それなのにこんなに日々が辛く、つまり、この素晴らしい環境で死にそうなくらい辛いということはこの先他の何をしたって多分うまくいかないと思う」と言っておいた。

人とできるだけ会う。なぜか外で人と会って話している時は普通に快活に話すことができた。むしろ言葉が口からたくさん出てくるようだった。それでも時々泣いた。お酒を飲む量がかなり増えた。自分はお酒には強い方で酔っても気分が良くなるだけなので調子に乗って指数関数的に飲む量を増やしていったら、ある日限界が来て駅の階段で吐いた。家に帰ってからもお風呂で4回吐いた。自分はとうとう駅で吐く人間になったのだと思った。

人とできるだけ会うと言っても、自分のことを好きだと言ってくる人に対しては甘えて、「起き上がれないから会えない」「歩けない」と言って全ての誘いを断った。好きな女の子とは会いたいので家に呼んでご飯を食べたりした。

『うつ病をなおす』という本を読んだ。初めて本当に自分は鬱になってしまったのだと確信した。まだ病院には行っていないが、その本に書かれているケーススタディや性格をまさに自分のことだと思いながら読めた。鬱に一度なったらなかなか治らないと今までなんとなく思っていたが、この本を読んで良かったのは、人生は波のようであり、鬱はだからなるものでもあるししばらく経ったら(それまでに自殺しなければ)治ると書かれてあったこと。10人に1人以上が人生の中で鬱になることがあるほど一般的なものだと知れたこと。そう言われるとなんとなく治る気がしてきた。

本の中に、肯定的なことですら否定的に受け取るのはうつ病になる人の性格の一つだと書かれていた(当たり前のようだが)。学部を卒業するときに学科賞をもらい答辞を読んだ。一応凡人の自覚があるので「そんなことは大したことないよ」などと言ったりせず実績として強調させてもらっているが、明らかに不等な選考だったのではないかと思っている。というのも東大の理系(特に数学物理情報)には男の人しかいないから唯一の女の私が選ばれたと今でもずっと思っている。だとしても普通にポジティブに考えればいいらしい。ともかく良いことを捻くれて悪く受け止めるのだけはまずやめようと思った。研究室のボスに、自分には何もないからもう無理だと泣きながら言ったら、自分でも納得できる私の長所を挙げて「このことに関してはあなたが研究室でもトップだし、これは短期的にわかる能力ではないかもしれないけど、割と先天的な能力だと思うし、あとで必ずその能力が効いていることが分かるはずだ」と教えてくれた。いつもの自分なら、わかりやすい能力が無いから数値化できない能力を挙げて褒めてくるんだろうなと思ってしまうが、我慢して素直に頷きながらありがとうございますと言った。




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