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プロフェッショナル仕事の流儀「校正者 大西寿男」の回を観た。

1月に放送されたNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」、校正者大西寿男さんの回を観た。
私は本が好きなので、校正という仕事に強い憧れと尊敬の念を抱いている。
今回の番組は、その気持ちを崩すことなく、なおさら高めてくれた。

痩身で、片耳にピアスをしている。
外見にまず言及するのは失礼にあたるかもしれないけれど、ピアスをあの年齢の男性がし続けているということにまず興味をもった。我が子がピアスをし始めたからなおさら気になるのかもしれない。ファッションというより願掛けのようなものだろうか。番組中、もちろんそんな部分には触れられてはいないが、非常にピアスが印象に残るカットが多かったような気がする。気のせいか。

驚くほどタイトなスケジュールでありながら、スタッフに対し、食事を振る舞うなどの気遣いもみせる。聞けば精神的に病んだご経験もあるとのこと。突き詰めていけばどこまででも行けてしまう、その深海のごとき言葉の世界の入り口を見た気がする。

私は会社では事務職、なんでも屋。
その中でも好きな仕事が広報誌の校正だった。あくまでも過去形。
実は過去に一度転職を経験し、その時も会議のテープ起こしや、人の原稿の校正などの仕事をやっていた。
もう少し大きな会社に転職することができ、自分が校正したものを目にする人が圧倒的に増えたこともあり、校正作業に力を入れるようになった。
しかし、校正をすればするほど、クエスチョンマークを入れれば入れるほど、「そこまで見なくていいから」「そんなところまで見ている人はいないでしょ」と言われることが多くなった。私には、その「そこまで」の程度がわからない。
しかし毎年替わっていく書き手の文章力は不思議なことに年々落ち続けている。言葉というものへの敬意がなくなってきている気がする。

言葉というものは、残るものだと思っている。今は誰でもこんな風に自分の気持ちや作品を簡単に発信できる時代である。匿名であることに甘え、深く考えもせず、流れ消えていくことを前提にして書かれる言葉も数多くある。誤字脱字のまま、誤用のまま、いびつに流れていく言葉。人を傷つけ続けるような言葉も大量に生み出されている。消えていくように見えて、決してそれは消えることがない。言葉は生きているから。

大西寿男という人は、言葉にありったけの敬意をもって接する人だった。フリーの校正者として様々な、本当に様々な分野の校正を手掛ける。言葉の守り手として謙虚であり、ひとつひとつの仕事に真摯に向き合う姿から目が離せなかった。
「推し、燃ゆ」の作者である宇佐見りんさんが、作品を校正してくれた大西さんに挨拶をする姿が映っていた。
その言葉に心から喜んでいた大西さん。
ある一文をも削る校正をしていらして、それがどんなに凄いことなのか、素人でもわかる。
大西さんに校正してほしい、という作家の方が多いのも納得。

「縁の下の力なし」という謙虚な言葉が、今の私の仕事に対する向き合い方を見直すきっかけとなった。
私も長年、やって当たり前、人からの評価されない地味な仕事を毎日毎日続けている。
大西さんのようなまさにプロフェッショナルな方でさえ、「縁の下の力なし」なんて言葉を使われるのだもの。
私も粛々と日々の仕事を頑張っていこうと思った。

そうそう、先日の俵万智回も観たけれど、プロフェッショナルの制作陣、非常に頑張っているなぁという印象。
こちらも非常に面白かった。寝起き姿まで映していた。半覚醒時に浮かぶらしい、短歌。まさに平凡な日常は油断ならない。