ミメーシスされた父の姿を見てみたい


残念ながら行けなかったけれど先月で終わってしまった府中美術館で
諏訪敦さんの展示があった。
ある授業の中で彼の存在を知った。
諏訪さんは、若くして事故で亡くなった若い女性の両親に依頼されて
亡くなってから時間がたった今の状態のその姿をミメーシスし、娘さんを描いた。
その時の両親は「●●だ」といって涙をしていた。

今日息子の保育園の帰りに、父の同級生であるお茶屋のおじさんを車越しに見かけいた。
最後に目にした彼は父が亡くなる前。おじさんの記憶も父と同じ年齢のまま止まっていた。
今日車から見かけたおじさんは、もう72歳になっていて、頬もたるみ、頭も白髪、腰も少し曲がっていて、すっかりおじいさんになっていた。

ふと、その姿をみた時に父が生きていたら、どんなおじいさんになっていたのだろうと重ねてみた。無性に老いた父に会ってみたくなった。
そして諏訪さんの作品を思い返し、諏訪さんに父を描いて欲しいと欲求に駆られた。

諏訪さんの写真は、人物を「蘇られてくれる」ように思う。
うまく表現できないけれど
絶対不可能な72歳の父にあわせてくれるような感覚を与えてくれるのだ。

父の死は突然のことで、少しの間、いや長い間死んだ事実から逃げていた。
58歳にしてなくなった父は、皆に惜しまれ、綺麗なまま逝ってしまったのだと、長生きすることが良いことではないと自分に言い聞かせその死を自分の中で消化した。

しかし突然何かのきっかけに喪が襲ってきた。

写真は過去でしかない。その時間のまま止まっている。だけれど
人が心を込めて描写してくれるその再現された絵は、今の状態を再現してくれるのではないかと思う。対話してくれる。

今日は小春日和。暖かな日差し。想いを描いてみた。


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