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幸運な人になるための自分へのチェックリスト

  1. 興味の範囲は狭まっていないか。

  2. ちょっとやってみただけで、うまくいっていないからとあきらめていないか。

  3. 自分にはムリそう、どうせできないよな、と悲観していないか。

  4. これまでの自分なりのやり方や決め事にしがみついていないか。

  5. うまくいく保証がないことに尻込みしていないか。

  6. 自分の好きという気持ちに目隠ししていないか。


ナタリー・ユエンさんの『「東の大富豪」の教え』という本を読んでいます。
その中にあった幸運をつかむ人の特徴の項目から、自分へ常に問いたいことの6つ。


1.興味の範囲

近ごろ、ほんとに自分の興味のあることにしか関心を示さなくなったなーと思いました。

あえてそうした部分もあって、あふれまくる情報を遮断していかないと時間も脳の容量も足らないのです。

一時はたくさん詰め込みたい欲があって、何でもかんでも取り入れていましたが、知らなくていいことまで知ろうとすると、やっぱりストレスが多くて。やめたら楽になったのは間違いありません。

でも、今度は振り幅が狭すぎて、何だか自分自身のおもしろみもめちゃくちゃ狭くなっていたのでは?と気づきました。

何ごともバランスですね。


2.早いあきらめ

やりたいことが次から次へと出てくるので、ちょっとやっておもしろければのめり込むのですが、すぐ成果が欲しい、結果をすぐ知りたいと思いがちで、それが得られないと、ふーん、なーんだ、つまらない、と手を引っ込めてしまうことも多く。
やりたいと思っていることなのに、その過程よりも結果に注目してしまうと、かける時間も手間も惜しく感じてしまい、早々にあきらめがちでした。

一旦 手を引いて、しばらく経ってまた着手すると、意外にもスルスルこなせるようになっているということはよくあります。そういう熟成期間はあってよいと思うので、一度あきらめたことでも保留にしておいて、また時間をおいて引っ張り出せば達成につながるかもしれないので、
ときどき、あきらめたことほじりをしたいと思います。


3.どうせの悲観

人の才能に嫉妬するということは、まあよくあります。恥ずかしながら。

でも、人のやってることって、楽しそうで自分にも出来そうで、しかもなぜか簡単そうに見えるので、すぐ手を出してみたりします。
案の定というか、そう安々とは行かないし、当然同じ結果も出せません。

すぐ結果ほしい病なので、「なんでうまくいかないんだ!」とイライラしたりします。そもそもの入り口が、人のやってることを見て、なので地道な努力もしたくありません。

で、「まあどうせ自分にはムリだな」とか「これやったってどうせそこそこの成果しかないし」などあきらめの口実を連ねて、拗ねて放り出します。

このメンタルがよくないですねー。「どうせ」はやっぱりいかんです。

「へー、やっぱりあの人はすごいんだな」「どうやってるのかな」と憧れに昇華させ、ただただ眺める・見つめる、ということが私に足りない気がします。

ねじ曲がった意識なしに見るものからは、ちゃんとした事実が見えてくるかも。


4.自分なりのやり方

人のやってることに憧れて何かを始めたりするくせに、マネはしたくないという天の邪鬼なところがある私。
人と違ったやり方、オリジナルな方法で進むのはいいことかもしれませんが、
多くの凡人が陥るワナとして、「基本すら出来ていないうちから応用をやろうとする」というのがあると思います。はい私です。

幾人もの先達が試行錯誤を重ねて「これ正解」と示してくれるものは、ちゃんとそのとおりにやればうまくいくものです。でも人に教わるのが嫌いだったり苦手だったりする人は、なんかそこに「自分なり」を入れちゃいます。
新人教育とかでも「いや、まずやってみてよ!」って人いますね。

まあ仕事なら私もとりあえず正解をなぞるのが鉄則と思って、素直に教わるのですが、趣味とか好きでやることはどうもオリジナルを求めがちです。

しかし私、ガンコな凡人なので、応用から始めてゴリゴリ突き進んで自分のものにする、という経験を何度もしているので、これはこれで成功の方法とも呼べるのですが、まあそういうところは粘り強さがあったりして自分を褒めるポイントかなとも思うわけで。

で、そうやって進んでいると、今度は「自分なり」から抜け出せなくなっている。
さらなる進化のために新しい何かを取り入れたり、ちょっと違うことをやってみたりすればいいのに、もうできなくなっちゃうんですね。

そうすると、発展というものはないわけです。
自分の幅がまた狭くなっている。時代は広がっているのに。

ということで、これもまたバランスですね。


5.見えないことへの尻込み

成功するという確実な結果が見えていたら、そりゃやります。
でもゲームとしては、おもしろくないのかも。
人生はゲームにも例えられたりしますが、まあほとんど結果の見えないことばかりです。
安泰と思われていることも、不慮の何かでどうなるかはわからないし。
確率の問題かもしれないけれど。

挑戦とは、リスクを容認することでもありますが、そのリスクも大きいかそれほどでもないかで挑戦へのハードルの高さが変わります。
9割で死にそうなことは、まあやらないでしょ。
五分五分だと難しいところです。でも、やらないかな。

失敗したくないという思いが強いと、1割にも満たないリスクでも怖くて「やらない」という選択をしてしまいます。
何が起こるかわからないから一歩も家から出られない、家にいても隕石降ってくるかもしれないヤバい、とノーリスク願望が極まると、一転なーんにもしなくなってしまいます。すべてのことに意味がないような気がしてきて。

ある程度の不安やストレスは刺激として脳の燃料に使えたりするので、
「よし、この問題を解決するためにやれることは?」とリスク要因をひとつずつ潰していける思考になれればいいんですけどね。

なれるように、尻を叩いていきましょう。


6.好きだと認める

人と違うことをしたいとか、個性を出したいとか思っていると、みんながやってることや万人受けするものに抵抗を感じてしまいます。

でもそういうものの中にも、自分の好みのものが含まれていることもあったりするわけで、そういうときに「みんなが好き」という理由で敬遠してしまうのは、チャンスを逃していることもあるかもしれないなと思いました。

みんなが好きなものに「自分も好き」と言えないのは、「大衆だっさ!」と思っているからで、そのダサい中に自分は入りたくないのです。
でも、もうそこそこ生きてくると、ダサくてもいいかー、別にわざわざ公言しなければ好きなだけで誰も責めてこない、と思えるようになってきたので、もっと素直に最初から「わ〜いいなー好きだわ」と認めたいです。
自分への抵抗なしに。


これをやったら幸運、というものではなくて、土台のメンタル作り。
まだ本は途中なので、さらに読み進めます。

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