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本日の一曲 20世紀第4四半期の音楽

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連載「本日の一曲」のうち、1976年~2000年の音楽をまとめました。
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記事一覧

本日の一曲 vol.272 ウィークエンド 情事の終わり (Weekend: The End Of The Affair, 1982)

ウィークエンドは、1978年、イギリス・ウェールズのカーディフで結成されたヤング・マーブル・ジャイアンツ(Young Marble Giants)が1981年に分裂して、アリソン・スタットン(Alison Statton)さんたちが結成したバンドです。 アメリカでのラモーンズ、イギリスでのセックス・ピストルズなどパンク・ロックの嵐が吹き荒れた直後、新しい音楽を模索するムーヴメントが「ポスト・パンク(Post Punk)」といわれるもので、ヤング・マーブル・ジャイアンツはその

本日の一曲 vol.267 BARBEE BOYS 目を閉じておいでよ (1989)

BARBEE BOYSは、1982年に結成されたバンドで、当初、男性だけのメンバーだったので「BOYS」だったのですが、ヴォーカルの杏子さんが後から加入してもなおバンド名を変えなかったため、そのままになったそうです。 1984年9月に「暗闇でDANCE」でメジャー・デビュー。 1987年4月、7枚目のシングル「女ぎつね on the Run」がリリースされ、CMでも使われました。 1988年8月に初めての東京ドーム公演を果たし、1989年1月1日に「目を閉じておいでよ」

本日の一曲 vol.265 バウ・ワウ・ワウ アイ・ウォント・キャンディ (Bow Wow Wow: I Want Candy, 1982)

バウ・ワウ・ワウは、セックス・ピストルズの仕掛人マルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)がマネージャーをしていたアダム&ジ・アンツ(Adam and the Ants)からリーダーのアダム・アント(Adam Ant)以外のメンバー、マシュー・アッシュマン(Matthew Ashman, Guitar)、デイヴィッド・バルバロッサ(David Barbarossa, Drums)、リー・ゴーマン(Leigh Gorman, Bass)を引き抜き、当時13歳のアナ

本日の一曲 vol.264 ゲイリー・ニューマン カーズ (Gary Numan: Cars, 1979)

ゲイリー・ニューマンさんは、1958年3月8日にロンドンのハマースミスで生まれ、お父様がブリティッシュ・エアウェイズのバス運転手だったことから、十代から航空訓練隊で働いていました。15歳のときにお父様からギブソンのレスポールを買ってもらい、それで音楽を始めました。 ゲイリーさんは、18歳のころだと思いますが、当時無名だったザ・ジャム(The Jam)のギタリストのオーディションに落ちたそうです。 そして、すぐに自分のバンドを結成し、チューブウェイ・アーミー(Tubeway

本日の一曲 vol.263 トッド・ラングレン 愛することの動詞 (Todd Rundgren: The Verb "To Love", 1976)

トッド・ラングレンの1976年にリリースされたアルバム「誓いの明日(Faithful)」に収録された曲です。このアルバムはリリース当時はもちろんビニール盤でしたが、A面にはヤードバーズの「幻の10年」、ビーチボーイズの「グッド・ヴァイブレーション」、ビートルズの「レイン」「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」、ボブ・ディランの「我が道を行く」、ジミ・ヘンドリックスの「イフ・シックス・ワズ・ナイン」の6曲が完全コピーで再現されて収録され、B面はオリジナル曲6曲が収録されて

本日の一曲 vol.260 ファンカデリック エレクトリック・スパンキング・オブ・ウォー・ベイビーズ (Funkadelic: The Electric Spanking Of War Babies, 1981)

ファンカデリックは、ジョージ・クリントン(George Clinton, 1941-)さんがリーダーを務めるバンドで、同じくパーラメント(Parliament)と並んで、「Pファンク軍団(P-Funk Collective)」と言われていました。2つのバンドが並行して存在していた理由は、レコード会社との契約関係でもめたから、ということだったようです。 源流は、1950年代後半に結成されたドゥーワップのヴォーカル・グループ「ザ・パーラメンツ(The Parliaments)」

本日の一曲 vol.258 パット・メセニー・グループ クリス (Pat Metheny Group: Chris, 1985)

パット・メセニー・グループは、1954年生まれのアメリカのギタリスト、パット・メセニー(Pat Metheny)さんのグループです。 本日ご紹介する「クリス」は、1985年公開、ジョン・シュレンジャー(John Schlesinger)さん監督の映画「コードネームはファルコン(The Falcon and the Snowman)」で使用された曲です。 この映画は、ソ連のスパイとなってしまったアメリカ人青年のお話です。パット・メセニーさんは、この映画のサウンドトラックとし

本日の一曲 vol.256 PRISM 風神 (1979)

Prism(プリズム)は、1956年8月26日生まれのギタリスト和田アキラさんが中心になり、1977年にデビューアルバム「PRSIM」をリリースしたインストゥルメンタル・バンドです。当初は、キーボードの久米大作さんと伊藤幸毅さん、ベースの渡辺健さん、ドラムの鈴木徹さんに加え、四人囃子を脱退したギターの森園勝敏さんが参加していました。デビューアルバムには、名曲「LOVE ME」が収録されていました。 デビューアルバムリリースの後、セカンドアルバム「SECOND THOUGHT

本日の一曲 vol.252 ラリー・カールトン ルーム335 (Larry Cartlton: Room 335, 1978)

先日、リー・リトナー(Lee Ritenour)さんを紹介しました。 1970年代、フュージョンのギタリストとして活躍したのは、リー・リトナーさんと本日ご紹介するラリー・カールトンさんでした。 ラリーさんは、1948年3月2日に生まれたアメリカ・カリフォルニア州トーランス出身のギタリストであり、1968年にジャズ・ギターのアルバム「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・マイ・フレンズ(With A Little Help My Friends)」をリリースしてデビューし、1971年

本日の一曲 vol.251 トーキング・ヘッズ テイク・ミー・トゥ・ザ・リバー (Talking Heads: Take Me To The River, 1978)

本日ご紹介する「テイク・ミー・トゥ・ザ・リバー」はアル・グリーン(Al Green)さんの曲です。この曲は、1974年リリースのアルバム「シャ・ラ・ラ(Al Green Explores Your Mind)」に収録された曲ですが、アル・グリーンさんのシングル曲としてリリースされたわけではなく、このアルバムからシングル曲としてリリースされたのは、邦題となっている「シャ・ラ・ラ(Sha-La-La (Make Me Happy))」でした。 レコード会社も、「テイク・ミー〜」

本日の一曲 vol.248 リー・リトナー シュガーローフ・エキスプレス (Lee Ritenour: Sugarloaf Express, 1978)

1970年代後半あたりのギター小僧にとっては憧れのギタリスト、リー・リトナーさんの「シュガーローフ・エキスプレス」です。この曲は、1978年にリリースされた「キャプテンズ・ジャーニー(The Captain's Journey)」に収録された曲で、当時、FMラジオのテーマ曲でも使われていました。楽曲としても山あり谷ありの構成になっていて、ギター弾きではなくても、楽しめる曲になっていると思います。 この曲にまつわるブログなどを検索するといくつか最近の記事が出てきますので、根強

本日の一曲 vol.56 ライオット ウォーリアー (Riot: Warrior, 1977)

本日ご紹介するのは、アメリカン・ヘヴィーメタル最初期の名曲であり、ライオットのファースト・アルバムに収録された曲です。抒情的なコーラスのメロディーと最後部の息の長いギターに快速のリズム隊が合わせるところは感動的です。 この曲は、日本に紹介された当初から人気があった曲で、ライオットのメンバーも1979年のセカンド・アルバムは日本にちなんで「NARITA(成田)」という題名がつけられ、同名の曲も収録されました。こちらはスピード感あふれるインストルメンタルの曲です。 「ウォーリ

本日の一曲 vol.245 田中星児 カントリー・ロード~故郷へ帰りたい~ (1976)

田中星児さんは、1947年8月27日生まれ、奈良県御所市出身の歌手で、グッチ裕三さんの従兄であり、1971年からNHK教育テレビの「おかあさんといっしょ」の初代うたのおにいさんとして出演されていました。「星児」というお名前はご本名で、星のきれいな夜に生まれたことが由来だそうです。 1976年、「ビューティフル・サンデー」が日本で大ヒットし、その年の紅白にも出場しました。「ビューティフル・サンデー」は、イギリスの歌手ダニエル・ブーン(Daniel Boone)さんの曲で、オリ

本日の一曲 vol.244 シカゴ 愛ある別れ (Chicago: If You Leave Me Now, 1976)

先日、ジャパンを紹介しました。 ふとバンド名が気になりまして、「Japan」という言葉は日本人が英語として聞くのでバンド名としても、ありかな、と思います。イギリスの人である彼らにしても、「異国の地」という意味合いもあったでしょうし、言葉自体、エキゾチックな意味があるのでしょう。しかし、例えば日本人の日本語のバンド名として「日本」はなかなか、ないかな、と思いました。 ところが、英語を話すアメリカには、「America」というバンドがあります。アメリカ人の英語のバンド名として