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本日の一曲 vol.138 なかにし礼 浜圭介 石狩挽歌 (1975)


はじめに

本日ご紹介するのは昭和の名曲「石狩挽歌」です。1975年にリリースされた曲で、なかにし礼さん作詞、浜圭介さん作曲、北原ミレイさんの歌でした。以降、たくさんの歌手に歌い継がれてきました。

歌詞

石狩挽歌
昭和五十年
北原ミレイ創唱
なかにし礼作詞
浜圭介作曲

海猫が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖の ヤン衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あらからニシンは どこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ オンボロボロロ
沖を通るは 笠戸丸
わたしゃ涙で にしん曇りの空を見る

燃えろ篝火 朝里の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーラン節に 頬染めながら
わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら
オタモイ岬の にしん御殿も
今じゃさびれて オンボロロ オンボロボロロ
かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で 娘ざかりの夢を見る

歌詞注釈

石狩挽歌記念碑

小樽市に石狩挽歌記念碑があり、そこになかにし礼さん直筆による歌詞が刻まれています。

挽歌

「『雑歌』『相聞』と並ぶ、『万葉集』における三大部立の一つ。その名称は『文選』 に典拠を求めたとみられる。原義は、柩を挽くときにうたう歌の意であるが、『万葉集』では広く死を悼む歌(辞世歌や伝説的人物の墓所での歌などをも含む)を収める部立となっている。」(小学館・日本大百科全書)

海猫

歌では「ごめ」と歌われています。北海道地方の方言で、「かもめ」のことを言います。ウミネコは鳥綱チドリ目カモメ科の海鳥のことですが、ここは「かもめ」のことを歌っていると思います。

ニシン

明治時代から昭和初期まで北海道でさかんだったニシン漁のことです。漁師が御殿が建つほど儲かったのですが、歌にもあるとおり、ニシンが来なくなってしまい、廃れてしまいました。野田サトルさんの「ゴールデン・カムイ」にも描かれていますね。

筒袖

筒袖、「つつそで」は袂、「たもと」のない和服の袖のことです。筒のようになっている袖という意味ですね。つまり、鉄砲の袖、テッポー袖とも言って、これが方言になって、この歌では「つっぽ」と言われています。

ヤン衆

「やんしゅー」とは、北海道の言葉で、出稼ぎに来たニシン漁の漁師のことを言います。アイヌ語の「ヤウン」(内地の意味)と「衆」を組み合わせた「内地衆」のことなどと言われています。

問い刺し網

刺し網は、ニシン漁に使う編みの種類です。以下のページの「網の種類」参照。

「問い差し」とは、刺網業者がニシンの回遊状況を見るために投網することです。以下のページの「留萌地方沿岸におけるニシン漁場用語解説」参照。

問い差し網とは、問い差しに使った網のことでしょう。

笠戸丸

笠戸丸は、1900年にイギリスで建造された貨客船で、これがロシア艦隊に売却され、日露戦争で日本が接収し、「笠戸丸」と命名されました。日露戦争後、ブラジル移民船、ハワイ移民船、客船、病院船、イワシ工船、サケマス工船、蟹工船などに使われ、1945年8月9日にカムチャッカ沖でソ連軍により撃沈されたという船です。

笠戸丸は切手の図案にもなっています。

にしん曇り

にしんぐもりとは、北海道近海で、ニシンがとれる頃に多い曇り空のことで、春の季語になっています。

朝里、オタモイ

いずれも石狩湾にある北海道小樽市の地名で、朝里には、現在、朝里海水浴場などがあります。オタモイには、オタモイ海岸や絶景の断崖があります。石狩挽歌の舞台ですね。

ソーラン節

北海道の民謡で、もともとはハタハタ漁に用いられた青森県南部の「荷上げ木遣」であり、これが北海道のニシン漁場に持ち込まれて「ソーラン節」になったと言われています。

古代文字

古代文字とは、1886(明治19)年に北海道で発見された北海道異体文字のことで、アイヌ文字とも呼ばれています。謎の多い文字です。

歌と演奏

いわゆる演歌として~北原ミレイ

1975年にリリースされた北原ミレイさんの歌です。忘れてはならないのは、イントロや間奏にあるトランペットです。トランペッターなら一度は吹いてみたいメロディーだと思います。

ロック的演奏~坂本冬美

ハードロックも普通の音楽になってきたころ、ロック的な演奏で歌われるようになりました。代表格は坂本冬美さんの歌です。

鬱曲としての解釈~中森明菜

中森明菜さんならではの歌です。

ブルース的演奏~憂歌団

日本のブルースの王者憂歌団による歌と演奏です。ブルースとはとても親和性のある楽曲だと思います。


付録・満州引揚げについて~流れる星は生きている

石狩挽歌の作詞者であるなかにし礼さんも作曲者である浜圭介さんも満州の出身者です。満州にゆかりのある人たちというとものすごくパワフルな人たちという印象があります。芸能関係でいうと、なかにしさん、浜さんのほか、満洲映画協会の甘粕正彦さんを筆頭に、李香蘭(山口淑子)さん、木暮実千代さん、朝比奈隆さん、小澤征爾さん、赤塚不二夫さんなどなど。

しかし、満州からの引揚げが壮絶を極めたことは、作家新田次郎さんの奥様である藤原ていさんの引揚げ記録「流れる星は生きている」に詳しいです。あまりの壮絶さに相当ショックを受けると思いますが、ご一読をおすすめします。

(by R)


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