2019年。夏の記録。

八月三日(土)

昨夜、恋人と別れたことは瑣末事だ。

彼は水商売時代の客なんだが、どうやら最後まで私をホステスとしてしか認識出来なかったようだ(これは彼も認めている)。

昨日、友達二人と電話をして「この孤独は誰にも理解されない」と思ってしまった。

何をしてても、してもらっても、満たされない心の空白が埋まらなくて、それが孤独に変わる。

きっと誰にも理解してもらえない、共感もしてもらえない。

酷く脱力して、ずっと他の連絡は無視している。

誰かに話したら楽になるだろうか。

だけど、もう話すのも面倒臭い。

八月四日(日)

多くの人が「自分にとって都合のいい私」を求めるのに虚しさを感じる。

元彼に関しても、ホステスの私の印象が強過ぎて、私のプライベートでの姿=泣いてる、怒ってる、狂ってる、これらの姿をまるで受け入れることが出来ない感じ。

いつもにこにこしていて、自分の意見を否定しなくて、実家の仕事を手伝ってくれる嫁が欲しかっただけだよね?

だったらそれ、私でなくてもいいじゃない。

いちいち、あの人が、この人が、って話をし出したらキリが無いから端折るけど、皆「都合のいい私」を求めているのであって、別にそれって「私自身でなくてもいい」んだよね。

端的に言うと、「代わりが利く」。

私が幼少期、周りにいた大人も、私に対して「こうであってほしい」というのが強過ぎて、ある程度それを飲み込まないと私は生きてこれなかったから、私は子供の頃からホステスをやってる気分なんですよね。

こういうのに疲れたから、ここで人生を終わらせたい。

八月十六日(金)

祖母と会った。祖母を通して親戚に、私の今仕事の状況を聞かれたり、色んなことにうんざりしている。

うちの身内は、皆お堅い職に就いてるから、いわば私は落ちこぼれなのだ。

周りからの詮索も、私自身が周りと比較することも、もう疲れてきてる。

死ぬ理由なんて、大して大きなものではないのだ。

大きな不幸があったわけでもない。

ただもう疲れてる。

この人生を続けることに、まるで意味を見出せない。

色んなことが苦しくて、こんなに悪意と苦行の満ちた世界でやっていける気がしない。

祖母は私に、「強気に生きていけばいい」みたいなことを言うから、「じゃあ、私と同じ人生を送ってみたい?」と聞いたら「嫌だ」と言われた。

あまりにハッキリ拒否するものだから、私は笑ってしまった。

そうでしょう、それが本音でしょう。

皆、綺麗事ばかりいって、私と同じ地獄を味わってくれる人間なんてただの一人もいない。

いっそのこと、「お前みたいな人生じゃなくて良かったわ!」と言えばいいのに。

皆、いい子でいたいのね。

いい子のふりをしているだけのくせに。

八月十七日(土)

友達が「助けて」と言ってくれれば「助かるよ」と言ってくれたのを思い出して、相手に「助けて」と言ってみたけど「それは出来ない」と言われたのは昨夜の話だ。

何かをしてもらうくせにこんなことを言うのは傲慢だけど、友達の行いは私を「助ける」というよりも「手を差し伸べる【程度】」の表現がしっくりくる。

自分でこんなことを書いてて、本当に何様なんだろう、私は、と思う。

そもそも、自分の人生を他人に背負わせるなんて、土台無理な話なのだ。

それでも、私が生きる術やあてにしていたものが、またひとつ失われた感覚は否めない。

ところで、例えば私は機械なのではないだろうか。

私という機械、主にパソコンやDVDプレイヤーの類だ。

その機械の中に「鬱」というディスクがずっと入れられてる気がするのだ。

周りの人間は、「機械が不調」と誤認して、ハードの方を直そうとする。

本当は、中身のディスクを「幸福」「笑顔」みたいなものと入れ替えれば済む話なのに。

九月九日(月)

この歳になると結婚のことでマウントを取ってくる奴がいるけど、私からしたらそんな恐ろしいことをよくも出来たなとしか思えない。

きっとまた、私の父みたいに「お金を稼いできてるのに、それ以上は求めるな。何が不満なんだ」って言われるのがオチなのよ。

きっと、「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ」って言われるのよ。

夜職やってれば既婚者の客がほんと多くて、どいつもこいつも浮気や不倫願望ばっかりで、結婚なんてしたら、一生その男の奴隷になるのよ。

この世に見返りのない愛情も無条件で得られる愛情もないし、不倫願望の無い男なんていないのよ。
普段、綺麗なこと言ってる男だって、目の前で美女が服を脱ぎ出したら、奥さんがいたとしても目の前の美女に食いつくに決まってる。

私は愛情を信用しない。
私は愛情を否定する。

誰だって自分が一番可愛いでしょ。

九月十六日(月)

昨夜、友達に私のことを「可哀想」と言われ、そこから心が死んでいる。

今まで他の人にも可哀想と言われたことはあったけど、この言葉ほど私を惨めにさせるものはあるだろうか。

可哀想。可哀想。可哀想。

私はこの言葉が大嫌いだ。

「この友達、私のことを本当はこんな風に思っていたんだ」と、思うと急激に何かが冷めていった。

今は兎に角、自分の人生を終わらせたくて身辺整理しているけど、身辺整理するにも死ぬのにも体力や気力を使うから大変で、昨夜はODして酒を飲んで寝ることにした。

私の中で「楽しい」という感情がどんどん死んでゆく。

ー夏の終わりー

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