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坂本龍一さん追悼番組とコルビジェの思い出

坂本龍一さんが亡くなってから、毎晩寝る前には最後のアルバム「12」を聴いています。遺された文や追悼番組など見ています。まだいなくなった実感が未だもてない。
追悼番組は多く続いています。少し前のNHKの20年位前のもとてもよかった。そして色々懐かい思い出。

私のCassina カッシーナジャパン時代の仕事の一つにVMD MDがあり、後半、上場して役員になっても続けた仕事。20年毎日たくさんの家具やプロダクトに触れていました。 

その企画的な仕事、当時はやっていた長い横文字の肩書き
’リテールマネージャVMD MD 担当、チーフコーディネーター... ’などは先輩から引き継ぎ当然会社からいただいたものだが、多くの嫉妬も受けた。不思議なこと一気に起こった。狭い組織の狭い世界の中で。自分にとっては全てが新しい大きな未知の世界で。

私自身はクリエイターではない。目指したこともない。目立つのは苦手ただ、自分にだけ与えられる仕事の喜びを、人をしあわせな気持ちにする喜びを初めて得た。ずっと変わらないが、お客様の幸せそうな表情や感想を聞くのは最大のやりがい喜び。
私が’企画をやりたがっている’など他にも幼稚な誹謗中傷は多忙も重なって気にならなかった。インテリアというもので人が心も豊かになっていく様子が、モチベーションでずっと続いた。

企画の仕事もシビアな重い数字の責任に伴うもので、使命感のような気持ちと、どこか達成できるという自信はあった。それは支えていただく人がたくさんいらしたから。私の企画の仕事は売上を上げ、スタッフの生活を支えるという責任。
創作的な自由はなかった。
でもその地味な立ち位置は自分に向いていたような気も既にしていた。
自惚れたことはない。
役員になっても続けた企画の仕事は、とにかくやらなければならなかった。


NHKさんにはたくさん使っていただいた。

このコルビジェの白いソファも私が日本で出したが、それまでは黒やグレーの革ばかりで、もう頭打ちだと判断して、白とナチュラルなめし革を選択したが、
社内からは汚れてクレームになったり売れ残ったら責任とれとか、
書類やペンを投げられたり あれこれ圧力があったけれど、当時の外部の期待の方が高く多くの要求に応え乗り越えなければならなかった。
大きな一つの過渡期のやり取り今では懐かしい。言い合えるって悪くない。内部のご機嫌は気にならなかった。

時々聞こえてきたが私は企画とかしたかったのではなく
当時のイタリアと日本の社長また有能な先輩から引き継いだ経緯やご指導あり
短時間での施策に追いつかないと、
土台を早く作る、コツコツと。

当時TV番組の影響力は大きくこんな風に番組で使っていただき
広まっていく数字に反映されていく
それがスタッフに還元されていく 
現実どこにでもある人のゴタゴタやパワハラ、重い責任のプレッシャー、
でも、意外に数字も好きだしそれぞれの場で人に喜んでいただけることで色々乗り越えたなぁと
この坂本龍一さんの追悼番組で、当時を思い出しました。

使う方々から支えられていくもの
インテリアも家具も、全てそうあってほしい。

この坂本龍一さんお元気そうで色気ありとても素敵でした。


その後、白革や白布の家具はかなりヒットしました。

照明もアイリーングレイのチューブライトから現代に置き換えられたようなイプシロンという商品が出た頃で、このNHKのは番組用に作られたものだけど

私が当時こんな風に提案していた雰囲気が使われた
実にうれしいなつかしい映像だった。


古い雑誌の切り抜き。好きな一枚。Cassina六本木時代、資料探しによく通った青山ブックセンター。いつか会えるかなと期待していました。会えなかったけれど。

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