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「無敵の人」のミソジニーに対するフェミニストの謬見3

 本稿は同じ題名のnote記事「1」の解説記事である。微妙に理解しづらいようなので、要点だけを抜き出して記事にすることにした。

 さて、「1」の記事の問題意識は、「無敵の人の起こす事件にケイト・マン理論を援用するのは間違っている」というものだ。もちろん、「ケイト・マン自身がそのように用いていないから」というのではなく、彼女自身がインセルが起こす事件に自分の理論を適用していようが、それは間違っているという話なのだ。

 なぜ、フェミニスト達が間違っていると私が考えるのか示そう。

 男性の無敵の人のミソジニー事件とは、詰まるところ以下のような事件だ。

狂人がソイツ自身の妄想世界での義憤に駆られて事件を起こした

別視点からの「男性の無敵の人のミソジニー事件」の捉え方 (筆者作成)

 そして、フェミニスト達がケイト・マン理論を援用して開陳する「事件に関連する問題圏の御高説」は、詰まるところ以下のようなものだ。

 狂人の妄想世界の構造が現実世界の構造だから狂人は事件を起こした

フェミニストによる事件の解釈 (筆者作成)

 普通、こんなバカバカしい与太話で納得できる人間は居ないと思うのだが、それに対して「アップデートできていない人間だからフェミニズム思想による説明が理解できなんだわ!」と真顔で主張するフェミニスト達には、「あんたら、アタオカなのか?」との感想しか抱き得ない。

 狂信的な「カタカナの名前の女性学者が提唱した理論だから絶対的に正しい!」という舶来信仰を、日本のフェミニスト達は押し付けてくるわけだが、「フェミニズムはグローバル社会では絶対的に正しいことなの!」という風潮に流されなければ、そんな舶来信仰からくる滅茶苦茶な理屈に納得することは到底出来ない。むしろ「それがオカシイとなぜ分からんの?それの方が謎だわ」としか思えない。

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