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資本の一般的定式でみるマルクス主義フェミニズムへの疑問

■マルクス理論の考え方の基礎

 マルクス理論の根本には「資本の一般的定式G-W-G'図式」というものがある。この図式において、Gは貨幣あるいは交換価値、Wは商品あるいは使用価値を示している。資本主義社会に生きている我々にとって、資本の一般的定式の図式に表される現象は、ごくごく普通の現象なので疑問に感じる人間はあまり居ない。それに対して「それはおかしい現象なんですよ」と言うのがマルクス理論である。

 マルクス理論では「等価交換こそが正しい。等価交換でないならばそこには搾取がある」と考える。このときポイントになるのが「"価"=価値」である。マルクス理論ではこの価値に関して使用価値交換価値とに分けて考える。そして、根本的な価値は使用価値であって、交換価値は使用価値を背景として持つ価値とされる。

 具体的にリンゴについて考えよう。

 リンゴの使用価値とは、リンゴを食べたときの甘酸っぱい味を感じさせる体験やリンゴに含まれる栄養素がそうである。そして、そのリンゴの使用価値を背景として、リンゴの使用価値と同等の他の種類の使用価値と交換できるリンゴの価値が、リンゴの交換価値である。言ってみれば「このリンゴは甘酸っぱくて美味しいよ。だから、その美味しそうな梨と交換しない?」と持ち掛けることのできる価値がリンゴの交換価値である。

 マルクス理論ではこの使用価値は商品自体に属していると考える。換言すると、商品を使用ないしは消費する主体側には属していないとするのだ。先に挙げたリンゴの例で言えば、「リンゴを美味いと感じるか、もっと言えば感覚器官が『甘酸っぱい』と感じるかどうかに関係なく、そのリンゴの物質的性質は変わらないのだから、リンゴの使用価値は変わらない」という訳だ。

 ただ、そうなると少し困ったことが起きる。リンゴの使用価値自体は万人にとって同じであっても、リンゴへの好みは個々人でバラバラだ。したがって、「リンゴの使用価値と等価である使用価値を持つ梨」の持ち主がいたとしても、リンゴと梨の交換が成立するとは限らない。「リンゴじゃなくて蜜柑が欲しいんだよね」と言われたら、それでお終いである。

 そこで、交換を円滑に成立させるための工夫として、使用価値とは切り離された交換価値を持つ貨幣という特殊なものを人類は発明した。つまり「どのような種類の使用価値を背景として持つ交換価値であっても、貨幣と交換できる」という社会的約束のもと成立したのが貨幣である。この貨幣によって、商品の使用価値と交換価値を切り離すことが出来るようになった。

 リンゴの例でいえば、使用価値と交換価値はリンゴという具体的商品において一体化していた。しかし、リンゴと貨幣とを交換(=売却)することで「リンゴの交換価値」だけを貨幣の形で保有することが可能になったのである。ここで重要なことは、リンゴを売却した人間にとって売却代金の貨幣は「リンゴの交換価値であったもの」だが、他の人間にとっては「リンゴに限らない(もちろん、リンゴでもいい)商品の使用価値と等価の交換価値」となっていることだ。

 貨幣の存在によって、先には成立しなかったリンゴと梨の交換が成立する。すなわち「"リンゴの交換価値であったもの"である貨幣」と「交換価値と使用価値が一体になったままの梨」との交換が成立する。この交換という変換システムによって、リンゴの使用価値が梨の使用価値に変換されたと言って良い。更に言えば、マルクス理論では基本的に等価交換が成立していると考えるので、リンゴの使用価値と梨の使用価値は等しい。つまり、交換という変換システムのインプットとアウトプットの使用価値は等しい。

 この交換という変換システムにおいて成り立っている「インプットとアウトプットの使用価値は等しい」との性質が生産という変換システムにおいても成り立っているとマルクス理論では考える。「ある商品Aを使用して別の商品Bが生産されたのならば、商品Bの使用価値を生み出す使用価値が商品Aにはあったということだから、商品Aの使用価値は商品Bの使用価値に等しい」とマルクス理論では考えるのだ。

 上記の考え方は、マルクス理論の根幹なのでしっかりと押さえておいて欲しい。剰余価値やら資本家による搾取やらをマルクス理論が主張するのは、上記の考え方が大前提である。


■標準的マルクス理論の考え方

 「資本の一般的定式G-W-G'図式」は、労働力の交換価値である賃金Gと、労働力の使用価値である生産された商品(本稿では以後「製品」という)の交換価値G'が異なることを問題にした式である。

 つまり、労働力Wを用いて製品Wを生み出したのだから、労働力の使用価値は製品Wの使用価値に等しい。そして、製品Wの使用価値を反映して製品が売却されて貨幣G'が獲得される。この貨幣G'は製品Wの交換価値を意味している。労働力の使用価値Wは製品Wを生み出すことであり、また製品Wの交換価値G'なのだから、労働力のアウトプットから見た交換価値はG'に等しい

 しかし、労働力Wの対価として支払われる貨幣は賃金GでありG<G'である。ではなぜ労働力Wの対価はGとなっているのか、それはインプット側からみた労働力の交換価値がGだからである。では、そのインプット側からみた労働力の交換価値Gとなるメカニズムを見ていこう。

 さて、労働力が再生産されるにあたって生活必需品Wが必要である。また、生活必需品Wを購入するために必要な貨幣はGである。すなわち、生活必需品の交換価値はGである。また、生活必需品の使用価値Wは労働力を再生することなので、生活必需品の使用価値Wは労働力Wに等しい。このことから、労働力の交換価値をインプット側からみれば、労働力は交換価値Gの生活必需品によって再生されているので、労働力の交換価値Gと生活必需品の交換価値Gは等しくなる

 この労働力の交換価値に関する、インプット側からみた交換価値Gとアウトプット側からみた交換価値G'の違いを、マルクス理論では「資本主義体制の矛盾」と呼んでいる。また、労働力の対価として支払われる賃金に関して、アウトプット側からみた労働力の交換価値G'ではなくインプット側からみた労働力の交換価値Gに準拠している。労働者に不利な賃金水準を労働者に飲み込ませている手段が、「イデオロギーと暴力装置」であるとマルクス理論では考えている。

 以上で見てきたような標準的なマルクス理論の考え方を図で示しておこう。ただし、これまでの説明には登場していない「必要労働」と「剰余労働」の概念も図解には入っているので、簡単に説明しておこう。

 売却したときに得られる代金で生活必需品の購入代金を賄えるだけの製品をつくり出す労働力が、「必要労働」である。また、賃金Gを対価に提供される労働力のうち、必要労働を除いた部分が剰余労働である。すなわち、製品の交換価値の一部「G'-G」に対応する製品をつくり出す労働力が剰余労働である。

標準的マルクス理論の考え方 (筆者作成)


■マルクス主義フェミニズムの考え方

 マルクス主義フェミニズムは、ある意味で「資本主義体制の矛盾」の説明、あるいは「資本の一般的定式G-W-G'図式」の補完を目指しているとも言える。なぜなら「資本の一般的定式G-W-G'図式において『G≠G'』であるのは、労働力を再生する家事労働が無償労働となっているためだ」とマルクス主義フェミニズムでは考えるためである。

 以前のnote記事でこの辺りのことは詳しく論じたので引用しよう。

「SとGs」は、マルクス主義フェミニズム図式全体も含め、本稿独自の表記である。そして、記号Sは家事労働(subsistence work)を表しており、家事労働の交換価値を記号Gsで表している。ただし、家事労働はマルクス主義フェミニズムにおいて無償労働(アンペイドワーク)とされ、また現実においても殆どの場合に無償労働である。それゆえ「Gs=0」である。

 さて、マルクス主義フェミニズムの図式:(G+Gs)-(W+S)-W'-(G+Gs)-W'-W'-G'図式を見ていこう。

 この図式は「代金と引き換えに生活必需品を入手し、また無償で家事労働が提供され、生活必需品と家事労働によって労働力が再生産され、賃金と引き換えに労働力が提供され、生産が行われて生産物が産出され、生産物が販売され代金である貨幣を獲得する」という一連の事態を指し示している。

「マルクス主義フェミニズム理論についての理解と批判」
丸い三角 2024/2/27 note記事

 この引用文下段の事態を図示すると以下のようになる。

マルクス主義フェミニズムの考え方 (筆者作成)

 上の「マルクス主義フェミニズムの考え方」の図解から見て取れるように、労働力W'の再生には「生活必需品Wだけでなく家事労働S」も必要である。しかし、家事労働Sが無償労働——家事労働力の交換価値Gs=0――とされているために、労働力の再生に必要な貨幣が「生活必需品の購入額G」だけとなる。そのために労働力の貨幣の量で表される交換価値は、アウトプットの観点からはG'となるが、インプットの観点からはGとなるのである。

 したがって、このマルクス主義フェミニズムの見方によれば「資本家の剰余価値は、主婦の無償の家事労働によって生じる」となる。また、剰余価値を生み出すために、家父長制イデオロギー(および家父長制に基づく暴力装置)を資本主義体制は維持していると考える。すなわち、マルクス主義フェミニズムでは、家父長制によって家事労働を無償労働とする搾取構造が資本主義体制には存在しているとするのだ。


■マルクス主義フェミニズムに対するマルクス理論からの批判

 以前記事を書いた時点では理解していなかったのだが、マルクス主義フェミニズムの考え方では「資本主義体制の矛盾」を説明できない。すなわち、「家事労働が無償労働であるから剰余価値が生じている」と考えることはできない。

マルクス主義フェミニズムの大前提となる枠組みに

  • 労働力の再生産は生活必需品だけでなく家事労働が必要である

  • 家事労働は無償労働である

というものがある。この大前提自体はその通りであると受け入れる。しかし、その大前提を受け入れても「資本主義体制はマルクス主義フェミニズムが主張するような形での剰余価値が発生する社会構造」にはならない(※剰余価値自体は生じるのだが、マルクス主義フェミニズムが説明するような形では生じない)。そのことを以下の図解を用いて説明しよう。

マルクス主義フェミニズムの考え方の間違い (筆者作成)

 企業に提供される労働力は「家事労働S」と「生活必需品W」によって再生されるとしよう。このとき、生活必需品の交換価値Gに相当する貨幣が賃金から支払われているとする一方で、家事労働Sに対する対価はゼロであるとしよう。

 さて、企業に提供される労働力を再生した家事労働Sも労働力であることには変わりがない。このため、この家事労働Sを再生するためには生活必需品と家事労働が必要である。家事労働力Sを再生する為に必要な生活必需品をW1とし、家事労働力Sを再生する家事労働力をS1としよう。先の場合と同様に、生活必需品W1の交換価値に相当する貨幣G1が賃金から支払われているとする一方で、家事労働S1に対する対価はゼロであるとしよう。

 また同様に、家事労働力Sを再生した家事労働力S1も労働力であることには変わりがない。このため、この家事労働S1を再生するためには生活必需品と家事労働が必要である。家事労働力S1を再生する為に必要な生活必需品をW2とし、家事労働力S1を再生する家事労働力をS2としよう。先の場合と同様に、生活必需品W2の交換価値に相当する貨幣G2が賃金から支払われているとする一方で、家事労働S2に対する対価はゼロであるとしよう。

 繰り返し同様に、S2,S3,S4,・・・についても考えることができる。

 そのとき、企業に提供される労働力の対価として支払われる賃金は、その労働力をアウトプットするために必要なインプットを賄うに足る分だけ支払われる。すなわち、以下の式を満たす形になるのだ。

賃金=G+G1+G2+G3+・・・

 つまり、企業が労働者に支払う賃金は「主婦が家事労働を提供するにあたって必要な費用を賄う分も含めた、インプットからみた労働力の交換価値」に等しい金額となる。したがって、「資本主義体制下での剰余価値は専業主婦の家事労働が無償労働であるが故に生じる」というマルクス主義フェミニズムのテーゼは、マルクス理論およびマルクス主義フェミニズムの大前提となる枠組みによって否定される。したがって、マルクス主義フェミニズムの論者の主張は整合的でなく、彼・彼女ら自身の理論的枠組みによって、資本主義体制は別に家父長制が必須でなはいことが明らかになるのだ。



※以前のマルクス主義フェミニズムについて書いたnote記事は以下である。ただし、またまだ考察が浅かったために、本稿で取り上げたマルクス主義フェミニズム特有の不備に関して以下の記事では気づいていない。


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