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外向性・内向性とは何か(3);フロイト派心理療法からみる「外向性-内向性」の外・内が意味するもの

 ユングのタイプ論に登場する「外向性-内向性」とMBTI(というよりも通俗的な16パターン性格診断)の「外向性-内向性」の概念内容が異なっていると思われる。そのため河合隼雄の解釈による4つの心理療法―—行動療法・フロイト派(精神分析)・ロジャース派(来談者中心療法)・ユング派心理療法―—の特徴から、ユングのタイプ論の「外向性-内向性」の「外」「内」が何を意味しているか見ていく。本稿はそのシリーズ第3弾である。

 シリーズの3つ目の本稿もまた心理療法の目的とアプローチの対象から「外向性-内向性」の「外」「内」の指示対象を明らかにしていく。そして、本稿で取り上げるフロイト派心理療法は、河合隼雄の枠組みによれば上の図にある通り、「治療の過程」が「外的」で「患者の現実」が「内的」である。ただし、「治療の過程」「患者の現実」の言葉のままだと少し何処に注目するのか分かり難いようにも思われるため、「治療の過程」を「治療の目的」に、「患者の現実」を「アプローチの対象」として見ていきたい。そして本稿からユングのタイプ論に登場する「外向性-内向性」の「外・内」とは何を指しているのか掴んでいきたい。


■フロイト派の心理療法(精神分析)とは

 フロイト派もまた基本的には現実世界の不適切な行動を問題視する。行動療法との違いは行動(思考-感情-行動のプロセス)のような外的世界の対象ではなく、防衛機制のような心のメカニズムによる歪み、幼少時のトラウマ的体験等による発達阻害による歪みといった内的世界の対象にアプローチのするところが違う。そして、それらの解消によって不適切な行動の消失を目指す。つまり、自らの精神において無意識に働く防衛機制やトラウマ的体験による発達阻害を理解することで、それから解放され、不適切行動を起こさなくなるとフロイト派では考えるのだ。

 フロイト派においては、夢や自由な連想を思うまま患者に語らせて治療者は「無意識に働いている防衛機制やトラウマ的体験による発達阻害」の見当を付けていく。防衛機制、あるいは特定段階での発達阻害などの知識に基づいて、患者の不適切行動を齎す内的世界の対象に関して、ある程度パターン化されているいくつかの仮説を立てる。患者の自由連想の語りから仮説との整合性を検討し、妥当な仮説となる候補を絞っていく。仮説を絞り切り、ある程度の妥当性の水準をクリアしたとき「あなたは無意識では○○と思っている。だから、不適切な行動や感じ方をしてしまうのですよ」と、夢や自由連想の内容が意味するところを解釈してみせる。そして、その解釈に患者が十分に納得がいったとき、不適切な行動や感じ方を齎していた無意識に働く防衛機制やトラウマから徐々に解放され、不適切行動を起こさなくなっていくのである。

 ここで、高校の倫理の授業で習った人も多いであろう、無意識に働く「防衛機制」を例にとって、フロイト派の心理療法を見ていくことにしよう。

 さて、防衛機制とは、心が傷つくことを避けてストレスや不安を軽減させる機能をもった精神的安定のための心理メカニズムである。ただし、防衛機制は無害な形で機能するばかりではなく、防衛機制の影響が妙な場面で困った形で現れることがある。また、防衛機制によって一時的に精神的安定が得られても、防衛機制が働くことになった問題に対する根本的な解決にならない事もある。

 この辺に関して問題の構造を把握していない人がいるかもしれないので、説明しておこう。まず、心的な因果関係の構造を示す。

  1. 心の安定を損ない得る事態X

  2. 事態Xによって心が傷つくのを防止するために働く防衛機制F

  3. 防衛機制Fによって(不適切行動として)現れる行動Y

 1.と2.と3.の関係は以下の式で表現することも可能な構造を持っている。

Y=F(X)

 心的な因果関係は上記の通りなのだが、患者の周囲や患者自身が「どうも不適切だなぁ」として認識するのは「行動Y」である。このとき、フロイト派の治療者は、不適切な行動Yを出力する防衛機制に関して、その候補となりうる防衛機制F,G,H,・・・についての見当をつける。そして患者が語る夢や自由連想から防衛機制の候補を絞り込んでいく。それと同時に、その防衛機制が働く契機となった事態を把握していく。最終的に、他の可能性を棄却して「事態Xに対する防衛機制Fが働いた事態F(X)」こそが「不適切行動Yを齎した事態である」との確信を持つことになる。そして、患者が語った夢や自由連想からの分析結果として「事態Xに対する防衛機制Fが働いた結果、不適切行動Yが生じているんですよ」との解釈を患者に示すのだ。

 この治療者からの解釈の提示を受けて、「事態Xと行動Yを結びつけている防衛機制Fのリンクを切る」という解決Ⅰ、「事態Xへの防衛機制を成熟した防衛機制に切り替える」という解決Ⅱ、「行動Yを防衛機制Fによって生じさせている事態Xの改善」という解決Ⅲのいずれか、あるいは複数の解決を患者は目指すことになる。

 もちろん、このとき事態Xが改善可能かつ改善すべき事態である場合に、その改善のアクションを起こさないことは非合理であり、精神的安定を損なう危険性を放置することとなる。


■各種の防衛機制

 各種の防衛機制は健全度でみると以下の4段階に分けることができ、健全度でみると第4段階目の防衛機制が、前節において登場した「成熟した防衛機制」となる。ただし、第4段階の防衛機制は意識的に行わなければ、その防衛機制によって精神的安定を確保する事態は基本的には起こらない。

 具体例として高校の倫理の授業でも学習する防衛機制に関して見てみよう。

  1. 病理的防衛機制:否認・投影

  2. 未熟な防衛機制:退行

  3. 神経症的防衛機制:抑圧・逃避・反動形成・合理化・代償

  4. 成熟した防衛機制:同一視・補償・昇華

 これらの防衛機制について簡単に順に確認しよう。

 もっとも原始的な防衛機制である病理的防衛機制から見よう。

 「否認」とは、不快で受け入れ難い現実や体験に対して、心を閉ざして現実をかたくなに認識しようとしない防衛機制である。つまり、「(現実を知覚した上で)自分が認めなければ不都合な現実は無かったことになる」と考える防衛機制が否認である。フィクションなどで「嘘よ!そんなの絶対に嘘よ!私は信じないわ!」と言っているシーンの防衛機制がそれにあたる。

 「投影」とは、自分の中の抑圧された感情や欲求あるいは思考を他人が持っていることにして、無意識に責任転嫁することで精神的安定を図ろうとする防衛機制である。つまり「本当は自分こそがそうであるのに『相手がそうなんだ!』として相手を攻撃する」という形の防衛機制が投影である。似非フェミが「チー牛の男が女性を憎んで攻撃する!」と非難している行動などは正に投影の典型である。実際は、チー牛が女性を嫌悪しているのではなく、女性がチー牛を嫌悪しているのである。

 次に、未熟な防衛機制について見よう。

 「退行」とは、不快で受け入れ難い現実に直面したとき、現在の自分からすれば低い年齢層の時代の意識となることで困難を回避しようとする防衛機制である。退行の典型としては「幼児返り・子供返り」のような振舞がそうである。また問題となることは稀ではあるが「若者返り」のような振舞もまた退行のバリエーションである。

 では、神経症的防衛機制について見よう。ただし、この段階の防衛機制は"神経症的"との名称がついてはいるが、普通一般の防衛機制であり、慢性的にならなければ大抵の場合には特に問題となることはない防衛機制である。では見ていこう。

 「抑圧」とは、最も基本的な防衛機制で、不快な感情・思考あるいは体験の記憶を意識下から無意識に押しやり、それらがなかったものとして振る舞う防衛機制である。一般的によく見られるものとして「無理矢理に気持ちを切り替える」という防衛機制がそれにあたる。一見すると否認と似ているが、否認が客観的現実を無いものとしようとするのに対して、抑圧は主観的に無視するだけで客観的現実の否定はしない。ただし、客観的実体のない感情や思考については「それはない!」という否定の形を取ることもある。

 「逃避」とは受け入れ難い現実・不快な出来事・困難な状況・ストレスなどから物理的・心理的に離れようとする防衛機制である。現実逃避・空想逃避・病気への逃避の3パターンがある。通俗的な「現実逃避」の言葉は、防衛機制としては「空想逃避」にあたる。それぞれを簡単に説明しておくと、「現実逃避」は現実世界において本来やるべきこととは別の行動に没頭する形の逃避である。例えば、(嫌な)勉強しなければならないときに部屋の大掃除をする行為がそれにあたる。また、先に述べたように「空想逃避」は現実世界では満たされない自己実現を空想で図ろうとする防衛機制である。そして、「病気への逃避」は病気を言い訳にして逃避する防衛機制である。

 「反動形成」とは、不快で受け入れがたい状況や現実に対抗するために、一般的な反応と逆転した反応を取る防衛機制である。所謂「嫌な奴や怖い奴ほど丁寧に対応しろ」「しんどい時ほど笑顔になれ」といった意識的・無意識的な処世術がこの防衛機制となる。ただし、「笑うから楽しい」「泣くから悲しい」といった動作によって誘導される感情システムのバグを利用する防衛機制であるので、本心と正反対の行動を取ることになる反動形成は一時的な精神的安定と引き換えに長期的には多大なストレスを蓄積する。

 「合理化」とは、受け入れがたい現実や満たされない欲求に対して、もっともらしい理屈で自分を納得させる防衛機制である。イソップ寓話「キツネと葡萄」で語られる、葡萄を手に入れることのできなかったキツネの「あの葡萄は酸っぱかったに違いない」という負け惜しみが合理化の典型である。

 「代償」とは、特定の対象に向けられた欲求や衝動を、代用となる別の対象に向けさせることで自分を納得させる防衛機制である。子供が欲しかった夫婦がペットを飼うことなどが典型である。あるいは、告白してフラれたときにケーキをやけ食いする行為なども代償である。

 では最後に、成熟した防衛機制を見ていこう。

 「同一視」とは、尊敬する人の長所を選択的に模倣することで自己評価を高めて、欲求を満たそうとする防衛機制である。目標とする人物を同じレールに居る先導者と見立てることで「あの人と自分はある意味で同じ。なぜなら、自分も努力すればいずれそこに到達するからだ」と認識して自己評価を高めるのである。

 「補償」とは、ある分野で失敗をする、ある人に劣等感を抱くといった場合に、失敗した分野や劣等感を抱いた分野とは別の分野での成果あるいは勝利で、自尊心の回復を図る防衛機制である。典型的には、フラれた人間が一念発起して勉強を頑張って相手を見返そうとするものがそれである。

 「昇華」とは、社会的に許容されない欲求や衝動を、学問やスポーツ、芸術など社会的に望ましいとされるものに対する意欲に変化させる防衛機制である。典型的には、悶々とした気持ちを絵を描くことで解消することである。そして絵を描くうちに熱中し出して絵を描くこと自体にのめり込んでいくという形での、欲求の発展的解消を目指す防衛機制である。

 以上、高校の倫理の授業でも学習する防衛機制を詳しく見た訳だが、上記の文章で詳しくみた理解は、先の事態X・防衛機制F・不適切行動Yの関係性で言えば、「事態Xによって齎された精神的動揺が、どのような防衛機制Fにより鎮静化されたのか」という枠組みでの理解である。つまり、フロイト派の治療者視点では「答えの分かっている状況での理解」である。しかし、実際には事前に事態Xは不明である。患者の夢や自由連想を分析したアウトプットとして事態Xは解釈として明らかになる。それは不適切行動Yから逆算する形で判明することなのだ。そのことには注意が必要である。


■「不適切な怒り」に対するフロイト派心理療法の対処

 先の行動療法のときの具体例と同じ「不適切な怒り」を、フロイト派心理療法では(仮定的に)どのように扱うかを具体的に見て、治療の目的が「外的」であり、治療のアプローチの対象が「内的」であることを確認しよう。

 さて、ある人が不適切な怒りを撒き散らしているとしよう。つまり、怒り自体あるいは怒りの程度が怒りの感情を見せている状況から判断して合理的な説明がつかないとしよう。

 このとき、フロイト派心理療法の目的は、このような不適切な怒りが出てこないようにすることだ。そして、その「不適切な怒り=不適切行動Y」を齎した「精神を不安定化させる事態Xに対する防衛機制Fの働き」にアプローチして解決を図る。再度繰り返して注意を促しておくが、「精神を不安定化させる事態Xは、客観的観点から『その怒り』と関係づけることが非合理な事態である」とフロイト派心理療法では考える。このことをおさえた上で、具体的に見ていこう。

 さて、不適切な形で噴出してきそうな「防衛機制による怒り」を、先にみたものから候補を挙げると以下のようになる(もちろん、他の可能性もある)。

  1. 「否認により怒り」:怒っている状況と直接関連する現実で"その人自身の理屈"からその現実が受け止められず、現実を否定しようとして怒る。

  2. 「投影による怒り」:本当は自分が怒っている相手に思っている内容を、相手が逆に思っていると感じて、それに関して怒る。あるいは、自分が行いたいと思っていた物事を相手が行ったために激しく怒る。

  3. 「退行による怒り」:置かれた状況の解決がその人にとって困難である場合に、「駄々をこねていたらその人を宥めるために周囲が解決してくれた時代」に戻ることで、周囲による状況の解決や改善を無意識に期待して怒る。

  4. 「代償による怒り」:本当は怒りの感情を出したい状況があるにも拘らず、その状況では怒りを出せないので、代わりに別の状況で怒っている。

  5. 「抑圧による怒り」:怒っている状況単体では些細な不快であるにも拘らず、多数の別件での不快さ・受け止められなさを抑圧していたために、心の許容量が溢れて全く関係ない事柄の分を併せて怒る。

 もっと具体的な情景が思い浮かぶような例でなければ分かり難いだろうから、「アイドルの浮気によって怒り狂っている友人に、フロイト派アプローチで、その友人の不適切な怒りの問題の解決を図る」というケースで考えてみよう。このとき、行動療法的アプローチであればどうするかを想起しつつ考えると、アプローチの「外的-内的」の違いがハッキリする。

 さて、当たり前の話であるが直接的な人間関係のない「アイドルの浮気」で「怒り狂う行動」を取るのは明らかに常軌を逸している。このようなとき、「外野の人間がアレコレ騒ぐ必要はないんじゃない?」とのアドバイスは行動療法的アプローチである。フロイト派的アプローチでは、防衛機制によって常軌を逸してしまっていると考えて、普段の友人の行状や会話内容から、どんな防衛機制による怒りかとアタリを付ける。そして、その解釈を(可能ならば遠回りに)友人に告げて、友人がアイドルの浮気を受容して怒りを鎮めるように図る。

 ただし、ここでは遠回りの表現では分かり難くなるので(実際の会話としたら失敗となりそうな)ダイレクトな表現で、その怒りに対する解釈を友人に告げるものとしよう。

 では、友人の怒りが「否認による怒り」とアタリを付けたとする。つまり、「そのアイドルは誠実で素敵な男性」と友人が幻想を抱いていて、その幻想が現実ではないことを受け止めきれていないために「週刊誌やワイドショーは嘘ばっかりいっている!」と怒り狂っていると解釈する場合である。そんなときは「ルックスも良くて話も面白くてさらに誠実で思いやりがある、そんなパーフェクト超人居る訳ないじゃないか。つまりは、あのアイドルだって欠点もある普通の人間だったという訳さ。ファンで居続けるかどうかはともかく、幻想が崩れたからって怒り続けるのはどうかと思うよ」との話をして、友人の目を覚まさせてアイドルの浮気に関連して怒り狂うという不適切行動をやめさせようとすればよい。

 これが、防衛機制の否認によって不適切行動が現れているとの解釈に基づくフロイト派的アプローチによる行動の改善である。このとき、着目して欲しいのは「そのアイドルはパーフェクト超人である」との幻想は、友人の内的世界にしか存在しない。つまり、友人の幻想を崩すアプローチは内的世界に存在する対象へのアプローチなのだ。

 次に、友人の怒りが「投影による怒り」とアタリを付けたとする。つまり、「浮気をしたい」との自分の後ろめたい感情を否定するために浮気したアイドルを友人は糾弾していると解釈する場合である。そんなときは「アンタ、『浮気なんて絶対に許せない!』とアイドルに怒っているけど、職場の新人君に『なんかヨロメいちゃいそう!』って言ってたよね。浮気願望が後ろめたいのは分かるけど、それから逃げるためにアイドルの浮気を責め立てるのって違うんじゃない?自分の浮気願望が無くなればアイドルの浮気なんてウォルマートの株価並みにどうでもよくなるよ」との話をして、友人自身の浮気願望に向き合わせてアイドルの浮気に怒り狂うという不適切行動をやめさせようとすればよい。

 これが、防衛機制の投影によって不適切行動が現れているとの解釈に基づくフロイト派的アプローチによる行動の改善である。このとき、着目して欲しいのは友人自身の浮気願望は、友人の内的世界にしか存在しない。つまり、友人の浮気願望に対して反省を促すアプローチは内的世界に存在する対象へのアプローチなのだ。

 では次に、友人の怒りが「退行による怒り」とアタリを付けたとする。つまり、アイドルの浮気によって傷ついた気持ちを周囲から慰めてもらうために、駄々っ子のようになって周囲からの配慮を獲得しようとしていると解釈する場合である。そんなときは「お前があのアイドルのファンだったのは知ってるよ。だからあのアイドルが浮気をしていてムカつく気持ちは理解できる。でもそのムカつく気持ちは自分で面倒みるべき話だよね。駄々をこねて周りにヨシヨシしてもらって、その不満を解消してもらうのは間違いだろ。いい加減に大人にならないといけないのじゃないのか?」との話をして、自分の振舞が子供の振舞であることを自覚させてアイドルの浮気に怒り狂うという不適切行動をやめさせようとすればよい。

 これが、防衛機制の退行によって不適切行動が現れているとの解釈に基づくフロイト派的アプローチによる行動の改善である。このとき、着目して欲しいのは友人が考えるような「(子供が周囲の大人に要求できるような)理由は何であれ自分に周囲が配慮する義務」は、友人の内的世界にしか存在しない。つまり、友人の「周囲の自分に対する配慮義務の誤解」へのアプローチは内的世界に存在する対象へのアプローチなのだ。

 また次に、友人の怒りが「代償による怒り」とアタリを付けたとする。つまり、本来の向き合う相手が居るにも拘わらず、浮気をしたアイドルに怒りをぶつけていると解釈する場合である。そんなときは「アンタさぁ、こないだ浮気した彼氏と喧嘩したって言ってたけど、彼氏への怒りをアイドルへの怒りにすり替えてる。どうでもいいアイドルの浮気でそれだけ怒っているのは彼氏への気持ちに整理がまだついてないんだよ。別れるなり彼氏にキッチリ反省させるなりして、ちゃんとモヤモヤを晴らしておいた方がいいよ」との話をして、本来向き合うべき相手に向き合わせてアイドルの浮気に怒り狂うという不適切行動をやめさせようとすればよい。

 これが、防衛機制の代償によって不適切行動が現れているとの解釈に基づくフロイト派的アプローチによる行動の改善である。このとき、着目して欲しいのは友人のアイドルへの怒りが代用になる別の相手の怒りがあるのかどうかは、友人の内的世界の状況からしか分からない。つまり、友人の向き合うべき本来の相手への気持ちに対するアプローチは内的世界に存在する対象へのアプローチなのだ。

 では最後に、友人の怒りが「抑圧による怒り」とアタリを付けたとする。つまり、ファンだったアイドルの浮気による不快さは契機に過ぎず、友人がこれまで色々溜め込んできたものが爆発して、浮気をしたアイドルに怒り狂っていると解釈する場合である。そんなときは「アンタが怒り狂っているアイドルの浮気は切欠だよ。ずっと我慢していた色々なことへの不満が溢れているんだよ。お酒を飲みながら全部聞いてあげるからさ。アイドルの浮気への怒りの言葉じゃなくて、これまで我慢してきた色々なことへの愚痴を吐き出しなよ」との話をして、抑圧によって溜め込んだ愚痴の聞き役となってアイドルの浮気に怒り狂う不適切行動をやめさせればよい。

 これが、防衛機制の抑圧によって不適切行動が現れているとの解釈に基づくフロイト派的アプローチによる行動の改善である。このとき、着目して欲しいのは友人の溜め込んだ不満があるのかどうかは、友人の内的世界を見ることでしか分からない。つまり、友人が溜め込んだ愚痴に対するアプローチは内的世界に存在する対象へのアプローチなのだ。


■フロイト派心理療法の目的とアプローチの対象と「外的・内的」の意味

 以上のフロイト派の心理療法に関する解説から分かるように、フロイト派の心理療法がアプローチする対象は「防衛機制」という内的世界における観念的対象である。フロイト派の心理療法は図2の第1象限に位置するため、横軸の左方向の「内的」の指示対象は内的世界における観念的対象であることがわかる。また、フロイト派の心理療法の目的は現実世界での患者の行動が適切になることである。したがって、縦軸の上方向の「外的」の指示対象は現実世界における具体的対象であることがわかる。




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