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諸葛亮孔明vs司馬懿仲達

三国志演義における諸葛亮孔明と司馬懿仲達の間のドラマチックな戦いは、多くの有名なエピソードを生み出しました。その中でも特に有名なのは、諸葛亮が生前に仕掛けた「空城の計」と、彼の死後に展開された「七擒七纵」および「木人石馬」の策略です。これらの物語は、諸葛亮の知略と司馬懿の慎重さを象徴するエピソードとして広く知られています。

空城の計

蜀が魏を攻めた際、司馬懿が大軍で蜀軍を追撃し、諸葛亮は成都に戻る途中で街を守る兵がほとんどいない状態に陥ります。諸葛亮は城門を開け放ち、城壁の上で琴を弾きながら司馬懿を待ち受けました。司馬懿はこれを罠だと疑い、諸葛亮の計略にはまることを恐れて撤退しました。この策略は「空城の計」として知られ、諸葛亮の智謀を示すエピソードとして有名です。

七擒七纵

三国志演義では、諸葛亮が南蛮の王・孟獲を七度捕え、七度釈放する話が語られています。これは「七擒七纵」として知られ、最終的に孟獲は諸葛亮の徳に感じ入り、心から蜀に帰順します。この物語は諸葛亮の寛容さと戦略的な思考を示すものとして評価されていますが、司馬懿との直接の戦いではありません。

木人石馬

諸葛亮の死後、蜀軍は司馬懿が追撃を恐れるように偽の諸葛亮の像(木人)と軍馬(石馬)を配置し、司馬懿を欺く策略を用いました。これにより、司馬懿は諸葛亮の策略を恐れて躊躇し、蜀軍の撤退を成功させました。このエピソードも、諸葛亮の死後も彼の影響力がいかに大きかったかを示していますが、これは『三国志演義』特有の創作です。

正史三国志との違い

これらのエピソードは、特に「空城の計」は正史にも記述が見られますが、その詳細や文脈は『三国志演義』で大きく脚色されています。「七擒七纵」や「木人石馬」の話は、正史『三国志』には記載されておらず、『三国志演義』における創作とされています。正史では、諸葛亮と司馬懿の間の戦いも重要視されていますが、『三国志演義

』ほど劇的な策略やエピソードには焦点を当てられていません。正史では、諸葛亮の政治的・軍事的な才能、彼の北伐における戦略やその挑戦、そして蜀漢の運命により重点を置いて記述されています。

#三国志勉強ノート  No.97

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