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呉の政治腐敗

孫晧(孫皓)は呉の最後の皇帝であり、彼の治世はしばしば政治の腐敗と乱脈な行動で知られています。孫晧の時代(在位:264年 - 280年)は、呉が最終的に晋によって滅ぼされる過程を迎えており、彼の政治スタイルは呉の衰退を加速させたと評されることが多いです。孫晧の治世における政治の腐敗ぶりに関する主な点は以下の通りです。

過度の残忍さと気まぐれ

孫晧は非常に残忍で、気まぐれな性格だったとされ、これが政治的な安定を大きく損なう原因となりました。彼は些細な理由で官僚や一般民衆を処罰し、多くの無実の人々を殺害しました。このような行動は恐怖政治の様相を呈し、政権への忠誠心や信頼を著しく損ねました。

宦官の権力増大

孫晧の治世においては、宦官が政治における重要な地位を占めるようになり、彼らの権力が増大しました。宦官たちは皇帝に近い位置にいたため、政治的な決定に大きな影響を与えることができ、しばしば私利私欲のためにその影響力を行使しました。これにより、政治の腐敗が進み、効率的で公正な政治運営が妨げられました。

贅沢と浪費

孫晧は贅沢な生活を好み、国の財政を私的な享楽に費やしました。これは、国の財政状況を悪化させる一因となりました。また、彼の時代には国力が衰退していたにもかかわらず、大規模な建設プロジェクトに多額の資金が投じられ、国の経済をさらに圧迫しました。

外交政策の失敗

孫晧の外交政策もまた、呉の衰退に拍車をかけました。晋との関係が悪化し、最終的には晋による呉の滅亡を招くこととなりました。彼の治世下での外交的な判断ミスは、敵対勢力に対する有効な抑止策を欠き、国の安全保障を脅かす結果となりました。

結論

孫晧の治世は、政治の腐敗、権力の乱用、贅沢と浪費、外交政策の失敗といった要素によって特徴づけられます。これらの要因が組み合わさり、呉の国力の衰退と滅亡を加速させました。孫晧の治世は、効率的で安定した統治が如何に国の運命に影響を及ぼすかを示す歴史的な例として引き合いに出されます。

#三国志勉強ノート  No.120

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