そこに勝者はいない

ニック・タース著 布施由紀子訳『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』(みすず書房、2015年)を読んで


ガザ。誇らしげに破壊と殺戮の様子をSNSで発信する笑顔の青年。

彼が私の子どもだったら。

人間性が損なわれるのは、無惨に殺される人たちの方だけではない。

以前、さかきばら法律事務所のサイトに掲載した、ニック・タース著 布施由紀子訳『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』(みすず書房 2015年 新装版も昨年出ているようですが、私が読んだのは2015年版です)のブックレビューを再掲します。

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 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(三浦みどり訳)の『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫)  に続き、読むだけでPTSDになりそうな、戦慄を覚える事実、それもおびただしい数の事実。圧倒されるが、だからこそ全文を引用したくもなるほど、個々の事実に記憶すべき価値がある。

 米軍のみならず現地のアメリカ人ジャーナリストにしてみれば南ベトナム農村部の民間人の虐殺など「あくびの出るような」話だった。ベトナム革命勢力側は大量虐殺事件の情報を発信していたが、「共産主義者のプロパガンダ」と切り捨てられた。戦争犯罪がようやく報道されても「単発的な事件にすぎない」と修正主義者に論じられてきた。

 本著は、アメリカ軍が行った凄まじい残虐行為のありさま、さらにはそれらが決して偶発的な行為ではなく、計画され、決定された政策の必然的効果であったことをこれでもかこれでもかと明らかにする。

 統計志向の上層部がとりつかれた「合理的」思考は、「敵をどんどん殺していけばいつかは敵の兵員補給能力が追いつかなくなる。その瞬間を待て」というもの。殺害したベトナム人の「ボディカウント」が唯一の「成功の物差し」となる。まさに「営業成績向上」を目指すかのようなクレージーな強迫観念と、ベトナム人に対する蔑視感情、最新の兵器の実験をしたい思惑などが相まって、どんな殺戮、環境破壊が行われたか。残忍な記録には吐き気を催す。

 一方、緑豊かな「楽園」を文字通り「焦土」とし(表紙のどこまでも焼き払われたあとの写真が痛々しい)、女性子ども老人、まさに「動くものはすべて」殺すという「作戦」を実施した米軍兵士たちは「鬼畜」でもなんでもない。だからこそ、尚更恐ろしい。少し前まで母国でちゃらちゃらデートを楽しんでいたティーンエイジャーたちが、「基礎訓練」を経て、異国に送り込まれる。訓練は、新兵を「幼児なみの精神状態に追い込むように計画されていた」。ショックと隔離状態と心身へのストレスにより、18年そこそこの人生で学んだことの全てが剥ぎ取られ、白紙状態に刷り込まれる。たとえば、ささいな規定違反をあげつらい、頻繁に処罰が行われる。無理やり生ごみを食べさせる、気絶するまで運動させる。ある歴史家が「極度の疲労は、新兵が進んで命令に従う理由となる要素」、彼らはすぐに「いかなる形の不服従も、ただ苦痛を招くだけに終わることを学ぶ」と指摘したという。このような「訓練」を経て、新兵たちは「ためらうことなく人を殺すことを最善とする、暴力と残忍の文化に取り込まれる」。

 ためらうことなく人を殺すことは、訓練の場に満ちていた露骨な人種差別感情によっても正当化された。指導官からして、ベトナム人を「ベトナム人」とは呼ばず、アジア人に対する蔑称である「グーク」等と呼んだ。北ベトナムを「取るに足らない五流国」等(キッシンジャー)と呼ぶ指導者層の心情は、現場にも浸透し、現場ではさらにあけすけに「アジアの屋外便所」「世界のけつの穴」等と侮蔑の言葉がかわされた。相手国を蔑み、個々の人間性を否定してしまえば、殺害することへの抵抗などぐっと弱くなる。その上、異国で疲れきった新兵たちの目には、人びとが先祖伝来の土地を大切に耕し生きていく場所が南ベトナム解放民族戦線のゲリラがどこかに潜み自分たちの命を狙っている恐怖の場所と映っていたのだ。

 鬼どころか怯えたティ―ンエイジャーたちが、ゲリラと一般人の見分けなどつかず(見分けがつかないことに抵抗もなく。どうせ「グーク」なのだ)、命令を受けたらあるいは「狙撃を受けた仕返しのため」、単に「むしゃくしゃしたから」と集落を焼き尽くし殺りくしていったのだ。彼らもまた「勝者」ではない。(ベトナムではなくイラク、アフガニスタンからであるが)帰還した米軍兵士がどれほど心身に外傷を追ったかは、デイヴィッド・フィンケル著古屋美登里訳『帰還兵はなぜ自殺するのか』(亜紀書房)にまざまざと描かれている。

 とはいえ、米軍兵士の残虐な行為は許されるものではない。本著は途方もない殺傷能力の武器を駆使する若い外国人たちの予想もつかない行動を(にもかかわらず)予想して日々の行動をしなければならなかったベトナムの人たちにもインタビューを重ね、その視点からのおぞましい経験の数々も記録する。米軍兵士には非人間化されていても彼らはもちろん人間であり、かけがえのない大切な人を、あるいは/そして、自分の身体の一部を喪い、今もなお苦しみの中にある。しかも補償もほぼない。

 かすかに希望も抱ける。残虐な行為をしても平気なように徹底して教育されたはずの兵士の中で、目撃した戦争犯罪を許し難いものと感じ、告発した人たちが何人もいる。その記録が注目を集めず長年放置されていたとしても、著者のように見つけ出し、著書にまとめ世に問う人もいる。本著は2013年に刊行されるや、絶賛され、ライデナワー賞を受賞した。日本で戦争犯罪の本が出たら即座に「反日」「自虐」etcの攻撃をされるのではないか。本著からの教訓は、決してアメリカだけに向けられたものではない。

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