震わすのは【ピリカ文庫】
あれは15歳の夏休みだった。俺は町の花火大会の会場に急いで向かっていた。住宅街を走っていると、ドーンという爆音が空気を震わし、俺は空を見上げた。
「あ~、始まっちゃったか!」
俺は民家の2階の窓から身を乗り出している少女に気が付いた。その少女は同じクラスの福元美羽だった。あまり話したことはないが、福元も花火が観たいのだろうと思い、誘うことにした。
「福元!一緒に花火を観に行かないか?」
俺の姿を見た福元は、みるみるうちに顔を強ばらせ、窓をピシャリと閉め切ってしまった。まるで、俺が悪人のようではないか。
会場で待ち合わせていた打越に、そのことを話したら、大爆笑された。
「そりゃあ、大声をあげた鍵山のデリカシーの無さに引いたんだよ!」
「そうかなあ。花火大会に誘っただけだぞ?」
「ほら、そういうところ。ろくに話したこともない年頃の男子が家の前にいたら、気味が悪いだろ!」
待ち伏せていたわけじゃないけど、打越の言うことも一理ある。俺の頭は花火を楽しむどころではなく、福元のことで頭がいっぱいだった。
福元美羽は、学校を休みがちである。学校に来れば、普通に同じクラスの人と話しているし、成績だって皆勤賞を狙える俺より良い。自由参加の学校行事で、福元の姿を見たことはない。何か理由があるのだろうか?
2学期が始まって3日、福元が登校してきた。夏休み明けだというのに日焼けしていない肌は、俺の目を引いた。
「おいおい、鍵山。花火大会以来、福元のこと気にし過ぎじゃないか?」
打越がニヤニヤとからかってきた。
「気になるだろ、普通。あまり学校に来ないんだから」
と言いつつ、俺はかつて福元をあまり意識していなかった。
「本当にそれだけか?」
「それだけって……他に何があるんだよ」
「鈍いな~。こ、い、だよ!」
「恋……そんなんじゃないよ」
俺は打越の言うことに呆れていた。
放課後帰宅しようとする福元に、
「ちょっと話があるんだけど」
と近所の公園に誘った。
福元は俺の顔をじっと見て、あの日花火大会に誘った人間と認識すると、表情を曇らせた。
「分かった。早く帰らないといけないから、手みじかにお願い」
福元と俺は公園のベンチに座った。蝉の声と、遊んでいる小さな子どもたちの声が明るく響く。対して俺たちは数分のあいだ沈黙していた。何か話さないと、福元は帰ってしまう。
「福元、花火好きなのか?窓から乗り出していたくらいだし」
俺は口角を上げ、こう切り出した。
「あれは、花火が見たかったわけじゃ──」
福元は何かを言いかけて、口を噤んだ。
思えば花火を観ようとするには、落ちそうなぐらい身を乗り出していた。まるで、鳥籠から飛び立とうとする小鳥のように。
「……福元、立ち入ったことを聞くけど、学校を休みがちなことは、何か事情があるんじゃないか?」
俺は福元の些細な表情も逃すまいとした。
「……誰にも言わない?」
福元の声は公園の子どもたちの笑い声にかき消されそうだった。
「誰にも言わない。約束する」
俺は真剣な眼差しを福元に向けた。
福元は絞り出すように、話し始めた。
「……私のお母さん、寝たきりなの。学校を休むのは、お母さんを世話するため。お母さんがそうなったのは、私のせいだから」
「福元のせいって、どういうこと?」
驚いて思わず声が大きくなってしまったが、周りは遊びに夢中の子どもたちなので、こちらに関心が向くことはなかった。
「お母さんが目の前で倒れた時、私は頭が真っ白になって、動けなくなってしまったの。帰宅したお父さんが救急車を呼んだときには、容態が悪くなっていた。一命は取り留めたけど、起き上がることも話すことも出来なくなってた」
福元の目から涙が流れた。
「福元は罪滅ぼしの為に、母親の世話で学校を休んでいたのか。父親は?」
「お父さんは、『お前のせいで母さんが寝たきりになったのだから、世話するのは当たり前だ』って。だけど、『世間体もあるから時々は学校に行け』って」
「はあ?父親なのに、娘より世間体を気にするのか?」
「お父さんを悪く言わないで!私の代わりに治療費を稼いでくれてるんだから!」
福元は悪いのは自分と言わんばかりに、俺をにらみ付けた。しかし、俺には福元が悪いとはどうしても思えなかった。
「福元、母親が目の前で倒れて怖かったよな。きっと俺だって母さんが倒れたら、動けなくなると思う。あまり自分を責めるのは止そう?」
福元は崩れるように声を出して泣いた。公園で遊んでいる子どもの1人が心配して、移動ポケットの中からティッシュを出して、福元に差し出した。「ありがとう」と微笑んだ福元は、痛々しい程に俺の心を締め付けた。
それ以来、俺と福元は時々公園で話す仲になった。打越には、「何があった」と聞かれたが、福元の事情はけっして明かさなかった。
「今度の修学旅行、休まないで行かないか?」
俺は修学旅行が福元の思い出作りだけでなく、息抜きになればと思い提案した。
「……何日も家を空けるのは心配だけど、行っても良いかお父さんに聞いてみる」
福元の頬は、ほんのり赤くなっていた。
福元はそれから学校に来なくなり、修学旅行にも姿を現さなかった。心配になった俺は、福元の家に行くことにした。
「打越、俺……今日早退するから。福元に会ってくる」
「おう、行って来い!振られたら慰めてやるよ!」
何も知らない打越は、俺が福元に告白しに行くと思ったようだ。
昼頃の住宅街には、あまり人気がなかった。この時間帯なら、福元の父親と遭遇することもないだろう。俺は福元の家の玄関チャイムを押した。
「鍵山くん……」
現れた福元の頬は腫れあがっていた。
「福元、まさか父親に殴られたのか?」
俺が質すと、福元は表情を変えず頷いた。
「『修学旅行なんて、お前が行って良いわけないだろう。誰のお陰で飯を食えてると思う。母さんに何事かあったら、お前のせいだからな』って」
俺は怒りと悲しみに震える手で、福元の腫れた頬に触れた。
「ごめんな。俺の考えが及ばなかったばかりに、福元に怪我させてしまった」
「ううん。私が修学旅行に行きたいって思わなければ良かったの。鍵山くんのせいじゃないよ」
俺は福元がどうしたら自責の念から解放されるか、思いあぐねていた。
「……鍵山くん、もう私に構わないで。こないだ、お父さんに鍵山くんと公園で話しているところを目撃されてたみたい。顔までは見られてなかったけど、鍵山くんに迷惑をかけたくない!」
「……迷惑だなんてっ」
「お願い。私は大丈夫だから」
福元の決意は固かった。福元の瞳は、優しく俺が踏み込むのを拒絶した。
「さよなら」
福元が家の中に入ろうと後ろを向いた。入ってしまったら、もう俺は関われなくなる。刹那、俺は花火大会の日の福元の姿が頭をよぎった。
「福元!俺は花火師になる。福元が思わず窓を開けて見たくなるような花火を上げてみせるから!」
福元は一瞬立ち止まったが、振り返ることなく家の中に戻っていった。
俺は工業高校に進学した。福元は中学を出たあと、就職したと噂で聞いた。
40歳になった俺は、中学の同窓会に出席していた。同窓会のラストに、花火を上げることになっていた。
俺は福元の姿を探したが、それらしき人は見当たらなかった。
「鍵山、花火競技大会で賞を取るなんて、すごいじゃないか!」
幹事の打越が俺の背中を叩いた。歳を重ねても、同級生の前では学生時代の気分に戻るのは不思議である。
「打越、福元は来ていないのか?」
「福元の同窓会の葉書、欠席にマルだったぞ。鍵山、まだ福元に未練があったのか?」
「未練か、そうかもな」
俺は自嘲した。
俺はスーツから作業着に着替え、同窓会を締めくくるべく、花火を上げた。10分間と短い時間だったが、同窓生の歓声があがった。本当に見せたかった福元はいないけど。
最後の花火を上げ終え、片付けを始めたときだった。
「鍵山くん!」
懐かしい声が、俺を呼んだ。
「え……福元?」
介護ユニフォームに身を包んでいるが、確かに40歳の福元美羽その人だった。
「鍵山くんが花火を上げるって知って、仕事だったけど、少しの間休憩時間もらって抜け出してきたの!約束果たしてくれて、ありがとう。鍵山くんの花火、心が震えたよ!」
福元は、俺が見たかった心からの笑みを浮かべていた。
【完】
「窓」というお題で書き上げました。ピリカさん、ピリカ文庫という貴重な経験をありがとうございました。
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