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ドハティの異常な愛情 『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』感想

2019年、マイケル・ドハティ監督(以下敬称略:ドハティ)により生み出されたゴジラ キング・オブ・モンスターズ(以下KOM)が公開された。2019年の映画界に咆哮と共にブチ上げられたこのゴジラ映画はまさにマスターピースだった。だがこの映画マイケル・ドハティの愛情が込められすぎていないか……。

俺とゴジラ

人生で一番ゴジラが好きだった時期は小学生の頃だった。まだネット配信がなくDVDがそれほど普及していなかった時代、レンタル屋のVHSでゴジラを見ていた。主に鑑賞していたのはVSシリーズとミレニアム期の作品で昭和ゴジラはそこそこという感じだった。俺のゴジラ原体験は平成以降の作品にあった。(うっかり食事中に見てしまったゴジラ対ヘドラに強烈なトラウマを植え付けられたこともあったが……)

そして時は2004年、東宝ゴジラの最終作ファイナルウォーズ(以下FW)が上映された。当時の俺は矢も盾もたまらない勢いで劇場に向かったのを覚えている。あのお祭り騒ぎのような熱狂で満ちたFWは俺を十分なほど満足させたが、これが劇場で見れる最初で最後のゴジラだと思うと悲しくて仕方がなかった。

それから2014年、ハリウッドのレジェンダリー・ピクチャーズに製作されたゴジラが全世界で公開された。ハリウッド産ではあるものの10年の時を経てスクリーンにゴジラは復活したのだ。多少の不満はあったものの久しぶりに劇場の音響で聴いたゴジラの咆哮は俺の心を震わせた。ゴジラが蘇ったのだと…。2016年、ハリウッドに続いて日本もまたシン・ゴジラを放った。ゴジラとしては異色作だったもののこれもまた傑作だった。

そして2019年、ハリウッドが再びゴジラを送り出した。驚くことに今度はモスラ、ラドン、キングギドラも参戦する、ハリウッド版地球最大の決戦。初めて製作のニュースを目にした時はレジェンダリーの正気を疑った。ハリウッドがキングギドラ……。2004年の俺が聞いたらさぞ仰天することだろう。

KOMは予想を遥かに超えた狂気と愛に満ちた怪作だった。

驚きの予告編とサントラ

上映に先駆け、この映画の予告編が公開された時から異変を感じていた。どこか終末を感じるBGMをバックに画面上をゴジラ、モスラ、ラドンそしてキングギドラが暴れまわる、そこまではいい。そこまでは予想ができた。だがおかしいことに一つ一つのカットが異様なまでにキマっているのだ。なんだかまるで宗教画みたいだ。例に一つ↓

そして先行配信されたサントラもまた驚きのものだった。ブルー・オイスター・カルトの『 Godzilla』のカバーはリスペクトとして真当な発想だと思うが、曲の合間の「ゴ・ジ・ラ!ソイヤソイヤソイヤ!」のチャントは一体なんなんだろう。メインテーマでも聴こえるし…。極め付けはキングギドラのテーマのバックに流れる般若心経だ。これをディレクションした者は正気ではない…。

もしかしてKOMはとんでもない怪作になるのでは?俺は期待と不安が入り混じった気待ちで封切りの日を待つことになった。

ド迫力の映像と巧みなBGM

そして公開日、一日中そわそわした気分で過ごした俺はやっとKOMと対面することになった。俺の予想は的中した。確かにKOMは怪作だった…。しかしこの映画は傑作でもあったのだ。

予告編の時点でバチバチにキマっていたカットはやはり宗教画のような荘厳さと美しさに満ちていた。しかもこれはただの宗教画ではない、動く宗教画だ。そこには画面狭しと暴れまわるゴジラ、モスラ、ラドン、そしてキングギドラがいた。彼らは最早神の如き存在であり、人類の文明を蹂躙しながらぶつかり合う怪獣達の姿は神話の一場面をフィルムに投影したかの有様だった。神のような佇まいのゴジラ、「降臨」の言葉がここまでしっくりくるものはないだろう成虫モスラの姿、ただ飛行しただけで市街地を吹き飛ばすラドン、邪神の如き存在感のキングギドラ……。

あまりのクオリティに恐れ慄きつつ、俺はその凄まじい映像からドハティの愛を感じた。神話の一場面を感じさせる画面作りは最近のマーベルとDCのヒーロー映画でもお馴染みのものであったが、ドハティはその手法をゴジラ映画で行った。「自分の愛するゴジラたちを最高にカッコよく撮るにはもう神話にするしかない」KOMからドハティのこのようなキマった情念を俺は感じてしまうのだった。

また、異様すぎて浮いてしまうのではないかと危惧していたサウンドトラックは巧みな使い方によって臨場感を高める優れたBGMとなっていた。例を挙げると南極の氷の中で眠っているキングギドラを映した映像がバックで流れる般若心経付きのミュージックは、彼の禍々しさと恐ろしさを際立たせているようでクールだった。またゴジラが活躍するたびに聴こえる「ゴジラ!ソイヤ!」のチャントは劇中の盛り上がりをさらに刺激するスパイスとなっていた。(二回目の鑑賞で「モ・ス・ラ!ソイヤ!」に気付いて笑った)加えてモスラのテーマが……本当に良かった……。KOMモスラの神秘さを讃えるメロディに、俺は泣いた。最後にエンドタイトルで流れるチャント付きの『 Godzilla』は次々と明かされるゴジラ真実も相まって強烈な余韻を残していた。

妥協を越えた意志

そもそも映画は集団芸術だ。監督や役者に注目してしまいがちになるが映画は一人では作れない(個人制作でない限り)。数多くのキャストやスタッフの仕事や意思が重なって成されるものだし、プロデューサーや製作会社にスポンサーの意向も無視できない。予算や公開規模が大きくなるに連れてその傾向は強くなっていくものだと思う。どれだけ個性が強く言ってしまえばオタク的な感性のある監督であろうとその軛からは抜け出せないだろう。

だが、時としてどれだけの大作であったとしても個人の色が滲み出てしまうことはある。KOMはまさしくこのパターンだ。ドハティの、「俺の大好きなゴジラたちをカッコよく美しく魅せたい」という執念じみた意志が画面から激烈に伝わってきてしまうのである。

KOMにはストーリーやキャラクター、提示されるゴジラ真実に人間ドラマと異常で狂った部分はまだ他にある。だがそのあたりは色んな人が指摘していると思うし見てからの楽しみということでこの記事は終わらせておく。

締め

なんだか自分語りが多くて映画の内容には殆ど触れてない。肝心のレビューも抽象的な表現ばかりだ。てかnoteの場末のこんな記事を読んでいないで兎に角本編を見に行ってくれ。もう見たという人はもう一度見よう。いい映画は見返すたびに新たな発見があるからね。みんなもスクリーンでゴジラを、見よう。



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