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私のこと①

厳格な父と優しい母。姉と弟、祖父母。ごく普通の家庭で育った。
大学は教育系の学部に入り、幼稚園教諭、小学校教諭、保育士の資格を取得した。
資格取得のため、保育園、幼稚園以外にも聾学校や老人ホーム、知的障がい者更生施設(主に重度の方が生活する施設)にも実習に行った。
知的障がい者更生施設の実習中は、食事の介助をしたり、
洗濯の干し方を教えたり、他にもいろいろした記憶がある。
私が入った棟は、60代以上の女性のいる所だった。
他害がある方から、イスを投げられ当たったり、髪を捕まれひっぱられたり、ひっかかれたりもした。
それでも毎日接していたから、怖いとは思わなかった。
言葉が上手に話せない方が多かったので、何か伝えたいことがあったのかな?とは思った。
実習に行く前は、障がいについてあまり知らなかったため、怖さもあったが、、、
実際、実習に行き接すると怖さはなくなった。
みんな何に対しても一生懸命に取り組んでいたからだ。
その時に、知らないから怖く感じるんだ!ということを学んだ。
そんな貴重な体験をし、無事に資格を取り、卒業後から結婚するまでは幼稚園教諭や保育士の仕事をしていた。
いつしか知的障がい者施設での実習は過去の記憶となっていき、自分とは別の世界のことへとなっていった、、、。

その後、2人の姉妹を出産するが、子どもと関わる仕事をしていたからか、次女の発達がゆっくりなことには早い段階から気づいていた。健診の度に相談したが、まぁ個人差でしょうといつも同じ答えだった。
私の考えすぎなのか、、、?

年中の担任を何度もしていたので、次女が年中、年長と上がる度に不安が募った。
我が子だからか、個人差であって欲しいという気持ち、これから伸びるかも、、、という希望は捨てられなかった。
だから、次女の遅れが個人差じゃないと知った時は相当なショックを受けた。
当たり前のように普通の人生を歩むものだと思っていた。

知的障がい者施設での実習では重度の方だけだったため、軽度や中度があることも恥ずかしながら知らなかった、、、。
実習して理解したつもりになっていたが、自分には関係のない別の世界だと心の奥底で思っていたのだろう。
そんな無知な自分にもげんなりした。


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