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【たまチカ002】旧奈良監獄

東大寺南大門から大仏殿、戒壇堂、転害門とをすべて通りすぎて、坂道を上り切ったところの閑静な住宅地に、突如赤レンガづくりの堅牢な建築物があらわれる。


雨上がりの日曜日だった。


旧奈良監獄である。

旧奈良監獄とは、長崎・千葉・金沢・鹿児島と並ぶ「明治五大監獄」の一つであり、1901年に建築がいち早く開始され、かつほぼ完全な形を残している唯一の監獄である。

1908年に竣工して以来、1922年に奈良刑務所、1946年には奈良少年刑務所と改称され、2017年3月31日に廃庁された施設で、廃庁と同時に重要文化財に指定されている。

現在はホテルとして再出発するための工事中であり、一般客の見学は不可であるが、限定的にクラブツーリズムでのツアーは受け入れられており、私もこれに参加してきたのである。

明治初期、日本は幕末に締結した不平等条約の改正のため、諸分野での近代化を進めていた。その文脈のなかで、「国際標準」の監獄も用意する必要があった。というのも、監獄はその国の「人権意識」を如実に反映するものであるからである。

奈良監獄の前身は、奈良奉行所であり、現在の奈良女子大学の敷地にあたる場所にあった。この奈良奉行所の座敷牢が旧奈良監獄の敷地内に移築されている。

奈良奉行所の座敷牢(雨が降っていたので接近して撮影することはできなかった)

いやこれはひどいでしょ。

この座敷牢は1.5畳ほどのスペースであり、キリギリスを入れておく虫かごに似ていることから「ギス監」と呼ばれていたのだという。

欧米諸国からすれば、対等な条約を結ぶと、つまり自国民が日本で犯罪を犯した際に属地主義に基づき自国民を日本の裁判権に委ねると、自国民が今後どんな仕打ちを受けるかわからないのであって、通商は求めるが相手国の司法制度は信頼せず、領事裁判権を認めさせる対応は頷ける部分もあろう。

逆に日本からすれば、不平等条項の一つ「領事裁判権」を撤廃させるためにも、近代法の整備や「国際標準」の監獄づくりが急務となるわけである。

:ちなみに江戸時代における吟味筋(処罰を念頭においた裁判)では、奉行所下役による取調べは被疑者の自白を求めることに重点が置かれていた。そのため、拷問によらない「口問」と拷問による「責問」が罪状などによって使い分けられ、供述がとられた。殺人、放火などについては拷問してでも自白をとるという姿勢も存在したことも付記しておく。:

:旧奈良監獄は、1908年に竣工し、翌年から運営を開始した。前述の不平等条約との絡みでいえば、領事裁判権の撤廃はすでに1894年に調印・1899年に発効した日英通商航海条約で完了していた。:

監獄内は、ハビランド・システムという構造を採用している。

このハビランド・システムとは、イギリス生まれのアメリカ人建築家ジョン・ハビランド(1792-1852)の考案した構造であり、先述の明治五大監獄すべてで採用されている。

このハビランド・システムの特徴は、中央の監視所から複数の収容棟が放射状にのびており、看守の目は全方位の収容棟に行き届くようになっている。

ハビランド・システム


監視所からみた収容棟(2階)


このおおもとはベンサムが考案したとされるいわゆるパノプティコンであろう。少数の管理者による多数の収容者の「管理」を可能にする構造として、各国の刑務所で採用されるようになったものである。

奈良監獄には女性専用の収容スペースも一部であるが存在した。

男女それぞれの居室には、部屋の構造ともに扉の構造に若干の違いが認められる。居室には重厚な扉が設置されているが、そこには監視窓と食器口の2つの小窓が上下に設けられていた。

こちらは「女子」の居室の扉である。

下の方の食器口に注目されたい

一方、こちらが「男子」居室の扉である。
(あろうことか「男子」側の扉の撮影を失念していたため公式サイトのリンクを貼付する。リンクに飛んで少し下にスクロールすると居室の扉のきれいな画像が見られる)

違いはお分かりいただけただろうか。

「女子」の居室には「男子」の居室にはない「目隠し」がついている。
(リンク内の写真に見える鉄板は差し込み式で男女両方に装着可能である)

つまり、「男子」居室には(鉄板を外せば)障害物なく居室内を貫通する小窓を設置する一方、「女子」居室には(鉄板を外しても)貫通することができない仕掛けになっている。

これは、ガイドの男性いわく「夜間は女性刑務官が当直することはなく、その際に被収容者が刑務官を手招きするなどして”間違い”が起こらないようにするため」だという。

説明された趣旨がいかにも明治日本の「女性」観・「男性」観であり、苦笑してしまった。(*ご案内いただいたガイドさん個人に対する感想ではなく、趣旨そのものに対する感想である)。なお、被収容者を「守る」ためという側面を持つ措置でもあろうから、その当時においては合理的ではあるのかもしれない。


収容棟(1階)


高い塀もれんが造りであった

ツアーでは、居室の他、浴室や中庭なども見学させていただき、敷地内からは隣接する奈良拘置支所・奈良少年鑑別所の姿も見ることができた。

見学ツアー終了後は本格的にホテル開業に向けた工事が進められ、星野リゾートが運営する高級ホテルに生まれ変わるのだそうだ。その際には史料館も併設されるようであるから、またいつか、訪ねてみたい。



たまたま近くまで、きたものですから。


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