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【たまチカ001】高橋是清翁記念公園



年に数回、お仕事で呼んでくださるスタジオが青山にある。

数時間の撮影のあと、定食を食べて駅まで向かう途中に、近くに高橋是清翁記念公園があることを思い出した。

高橋是清は1854年生まれ、幕府御用絵師川村庄衛門の子で仙台藩士高橋是忠の養子である。

日本銀行に入行のあと、日銀副総裁時代に金本位制確立や日露戦争戦費調達のための外債募集で活躍したのち1911年に総裁。さらに貴族院議員(第一次山本内閣)を経て立憲政友会に入党、蔵相や原敬亡きあとの首相となった。

1931年以降は犬養・斎藤・岡田(*)内閣で蔵相を歴任して金輸出再禁止と軍事インフレ政策を主導したが、36年予算編成時に公債漸減方針を採り、軍部と対立。その後、1936年の二・二六事件で殺害された。

ここは当時高橋邸のあった場所であるが、ゆかりの建物は空襲で焼失、多磨霊園に移築されて難を逃れた母屋だけは現在は江戸東京たてもの園(小金井市)にある。この公園はといえば、当時あった日本庭園がほぼそのままの形で残されているのだという。

「高橋是清翁」像

国道246号線の拡幅工事により当時よりかは敷地面積は減ぜられているものの、

都会の喧騒を忘れて無我に至るには充分な空間であった。

たまたま近くまで、きたものですから。



*岡田内閣においては藤井真信の退任後に蔵相就任

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