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『真夜中の夜子さん』とは何だったのか?

ことの発端

2/16にH&Mの広告が炎上しているというニュースが炎上する。

下記事はこの広告を批判する側の論理の解説であるが、ヤフコメを見る限り、この程度で「ジェンダークレーム」が来て謝罪しなきゃならんのかよ、というおなじみの意見が多数を占めた。Twitterやまとめサイトもいくつか参照したが、どれも似たような論調であった。

翌日、LO漫画家の砂漠氏がこの広告をモデルにし、性的に描いたイラストを投稿すると、これもまた炎上。

批判の大半は、「リアルとフィクションを混同して実在する少女を性的に書くな、恥を知れ」というものだった。

より詳しく批判を見てみると、ロリコンエロ漫画は「Yesロリータ、Noタッチ」の精神の元、リアルとフィクションを完全に切り分けることでギリギリ許されてきたのだから、このような混同は許されないし、そのような露悪はやめろという意見が多数寄せられている。

この意見には同意しかないが、それでも問題はある。それは砂漠氏のイラストが本当に「リアルとフィクションを混同」している単なる露悪なのか、という点である。

なぜかというと、この砂漠氏のイラストの少女は「真夜中の夜子さん」という氏のオリジナルキャラクターであるからだ。正確にいうと単行本にもなっている『真夜中の夜子さん』シリーズに登場する「夜子さん」というキャラクターである。

「だからなんだ、それが免罪符になるのか」と言われてしまえば返す言葉もないが、それでもなお『真夜中の夜子さん』がどのような作品であったのかを知らなければ、氏の真意を測り損ねることもまた事実である。

調べたところ『真夜中の夜子さん』にひきつけてこの騒動を批判している人を見かけなかったので、本記事では『真夜中の夜子さん』が何であったのかを解説したいと思う。

その上で批判する人はするべきだし、それを止めるようなこともしない。ただどんな主張をするにせよ、騒動の一ファクターとして『真夜中の夜子さん』をおさえておくに越したことはないだろう。

真夜中の夜子さんとは

【注意】これからR-18の漫画の内容に踏み込みますので、お気をつけください。

個人的な評価としては『真夜中の夜子さん』というロリコン漫画は、この数年読んできたロリコン漫画のなかでも珠玉の出来だと思っている。今回はあくまでストーリーの話に留めておくが、どことなくガロ系を匂わせる筆致(あと人の作風を誰に似てると例えるのはマナー違反だが、個人的には小学生の時にインフルエンザにかかって待合室でたまたま読んだ『死神くん』に人生で一番の衝撃を受けたのだが、それに近いものも感じる)で、話の完成度がすこぶる高い。特にロリコン男性が抱える業をここまで丁寧に捉えて描ける人というのはそうそういないと思っている。

という個人的な感想は置いておいて、ここからは具体的な分析をしていく。『真夜中の夜子さん』は、夜子さんに翻弄されるロリコン男性を描いた1話完結のストーリーのシリーズであり、その形式はある程度一貫している。

まずはその話ごとに竿役となる男性が変わってくる。彼らは職場の女性に嫌がらせを受けながらもその女性には手を出せなかったり、痴漢やレイプの被害に遭った少女を不憫に思ったり、ロリコン教師だけど生徒に手を出すのを我慢してネットに欲望を書き込んで発散していたりと、ロリコンではあるけれどその気持ちを抑えて日々日常を過ごしている。

しかし、そこに夜子さんは現れる。夜子さんは蠱惑的な少女で、男性を誘惑し欲望を解放させるのだ。男性は夜子に誘惑されるがまま抑えていた欲望を爆発させ、夜子に自分の欲望をぶつけるようにセックスをする。

要はこれが漫画の抜きどころであるわけだが、『真夜中の夜子さん』の秀逸なところはそのオチである。夜子さんとセックスをして欲望を叶えた男性たちは、その欲望を他の少女にぶつけようとする。例えば、夜子さんをレイプしたことで「女性は犯して言うことを聞かせるものだ」と勘違いし職場の女性に手を出したり、電車で夜子さんを痴漢した成功体験から実際の少女にも痴漢をしてしまったりと、夜子さんのせいで抱えていた欲望を実行してしまう。

しかし、現実は夜子さんのようにはいかない。痴漢をしたら声を上げられて捕まるし、実行してしまったら破滅への道しかない。実際に、ある話では夜子さんを狙ったレイプ魔3人は彼女に唆されて殺し合いを始めてしまう。そして破滅に向かう男性の姿を、夜子はせせら笑ってどこかへ消えてしまう。

つまり『真夜中の夜子さん』とは、ロリコンの欲望を抱えながらも我慢している男性の前に夜子さんが現れ、欲望を解放させるセックスを行うが、それによって男性はリアルとフィクションを混同してしまい、破滅してしまう、という物語なのだ。

言うまでもなく、夜子さんとはフィクションのキャラクターである。歳を取らないし、子どもがぶらついているわけがない時間に外に出て、男性に都合の良いように欲望を叶えてくれるフィクションのキャラクターなのだ。

どこかの少女が性的な被害に遭っているのを見聞きしたとき、私たちは断固反対を口にするし、本心から性被害の根絶を願う。しかしながら、その奥底には犯人の気持ちをいくらか理解し、共感できる心があることも避け難い事実だろう。それすらを否定するのは偽善ですらなく、もはや他人の気持ちを汲み取ることを避け続けた馬鹿である。

夜子さんはそんなタテマエの世界を掻い潜って、ロリコンの種を拾い、花を開かせ、ロリコンの罪も業もすべて突きつけ、せせら笑うのだ。だからこそ夜子さんはロリコンの救済者である一方で、ロリコンを破滅に導く悪魔でもあるのだ。そして、そんなカスみたいなロリコンの人生でも、夜子さんに笑ってもらえればそれでいいやという諦めの境地にある最後の希望でもある。

翻って、イラストの話

今まで見てきたように、夜子さんは「こんなのエロくねーよ!」とロリコンの罪を隠すタテマエの中に潜んで、その罪を暴露し突き付けるキャラクターであった。そしてリアルとフィクションを自覚的に混同させ、ロリコンを破滅に導くキャラクターでもあった。

そう考えると、H&Mの広告(またはその炎上)は夜子さんにとって格好の獲物だったことがわかる。少なくとも、実在する少女を性的に描いたイラストと解釈するのと、そのような広告をモチーフにした夜子さんのイラストと解釈するのでは、意味がまったく変わってくるだろう。

確実に言えることは、このイラストが単なる「リアルとフィクションを混同したロリコンの露悪イラスト」ではないということだ。もちろん露悪イラストであることは疑いえないが、その露悪は何に対する露悪なのかは考える必要がある(だからこそ余計にタチが悪いという批判も可能)。

そもそもリアルとフィクションを分離できると素朴に信じている人には苛立つし、ロリコン漫画はその共犯関係の上に成り立っているものであることは言うまでもない(だからこそ規制すべきだ、という考えの方が、分離して楽しめと言われるより自分は理解できる)。

そういった切れ目にいつも現れてくるのが夜子さんであるし、その意味で是非はともかく今回の騒動はまさに「夜子さん案件」だなと思った。

もちろん、ここまで読んで「で、何?そんなこと関係なくない?」と思ったあなたは、おそらく正しい。今回の話は本質的な話ではないから。

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