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後悔をどう料理するか

「やった後悔より、やらない後悔の方がインパクトがある」
という話をよく耳にすることがあります。

数年前からそうだよねーと思う事はまぁあるのですが
どこかほかの人の話、という距離感でしか考えていなかった気がします。


ところが
年末や年始に結構考えさせられることがありました。
特に仲良くしていた、近所の方が亡くなったことが大きかった。


毎日会えると思っていたから
「今度でイイや」と思って伝えなかったことや
もっと立派になってから渡そうと思っていた多肉植物の寄せ植えとか。


その人がいなくなってしまったので
「永遠に」その機会が失われてしまうのです。

完全にその人との「扉」が閉じられてしまった…
今度はもうない。
ああ、やっておけば。というやらなかった後悔って大きいと自分事として痛感しました。

時同じく、
年末年始の課題図書として「後悔」の本を読んでいます。あともう少し。


後悔の研究から、の話。

先ほどの「扉が閉じられた」という事も書かれていて
丁度同時期だったので「ああ‥」とぐっと刺さったものです。

ただ、
後悔ってこうですよとか
後悔をなくすという話ではなく
後悔したとして、その先どうつなげていくのか。という話も言及しています。

読み終わるまであと少しなのですが
私の後悔、の先についてちょっとずつ取り組んでいます。


感じたことは相手に伝える

特に「いいな」とか「ありがたい」という感情は近い人にこそなんだか照れ臭いと感じてしまい、なかなか…


しかーし
私には「ほやほやの後悔」があるので、できる範囲でやっています。
結構つたわるもんだな、いいものだなと実感しています。


さらに(私としては)チャレンジしたのが
先日オークションで落札したあと、
その方が私が好んで見ているYouTubeをしている方で
取引については何ら疑問はないけど
普段、ありがたいと思っている事を送信するか…
いや、そんなことするのは相手にとって煩わせるだけか…

と、少々迷ったのですが
やらない後悔より、やってみるか。と送ることにしました。
真意は全部なんて伝わりはしないとは思うのですが
わずかばかりでも伝わったようでいた。


後悔をちょっとずつ何かにつなげていけるものかもしれない。
そんなことを実感する毎日です。



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