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#13【その他徒然】価値観の変遷

今回は営業の話でも物流DXの話でもなく、ただ私の頭の中を垂れ流す徒然記事です。

周知の事実ではあるし理解もしているけど頭や身体はついてこない、という概念はたくさんあると思いますが、今回の話もそのひとつです。

時代が変われば、価値観も変わっていきます。

なんでそんな当たり前のことをわざわざ太字にしてるんだ、と憤慨する方もいらっしゃるでしょう。
そう、仰るとおり当たり前の話です。

でも、本当に咀嚼できていますか?
理解しているつもりで、表面的に知ったかぶりしているだけではありませんか?

例えば、ファミレスや牛丼チェーン店で初デートなんて、と深層心理で思っていませんか?
聞いたこともない大学の出身者や高卒が最終学歴の方をよく知りもせずに無意識に下に見ていませんか?

人間というのは表層心理では理解しているつもりのことだったり、取っ払ったつもりの先入観などを、深層心理まで浸透させることはなかなか難しいのです。

得てして、そういった表面的な理解は、議論や概念の表面だけを掬い取ってしまい、誤った結論へと導かれてしまったり、本質を見誤って本末転倒な言動やスタンスを取ってしまうリスクを孕んでいます。

例えばこんな話を最近よく聞くでしょう。

昔は(我々の若い頃は)良い大学に行って良い会社に行き、もしくは公務員になり、結果豊かな人生を送るためにたくさん勉強するというのが普通だった。

しかし今は(最近の若者は)豊かな生活に興味がないのか、良い大学に行くことも良い会社に行くことも、高い年収を得るためにがむしゃらに働くことも敬遠する傾向にある。

人の価値観が変わって、今は無欲な人が増えたのだろう。

うんうん、と頷く方も多いかもしれません。

しかし本当にそれは本質でしょうか?

変わったのは”人の価値観”でしょうか?

そもそも価値観の変化というのは人の内面から自然発生するものではなく、外的刺激をトリガーにして発生することが多いと考えます。

あんまり無闇矢鱈なラベリングは好みませんが、文脈上敢えて”最近の若者”と括ります。

”最近の若者”は自然と価値観を変えて無欲になったのでしょうか?
いや、そもそも彼らは本当に無欲なのでしょうか?

本質を正しく理解するために深堀りしていきます。

まず時代の変化についてです。

たしかに昔は、経済がまさに成熟に向かっている時代でした。

そこでは大手企業が経済において大きな力を持ち、大手企業は学歴によって採用を判断し、入社すれば画一的な激務の中で年功序列で出世していくというのが当たり前の世の中でした。

そのような世の中では、人生を決めるポイントは”大手企業への入社”であり、そのために必要な”学歴”を”必死に勉強すること”によって手に入れるというプロセスが主流とされるのは当然です。

しかし今はどうでしょう?

大手企業が強いのは変わりませんが、不祥事や不景気などで安定した雇用が保証されないケースも散見されます。

また、中小企業も独自の強みを持ってビジネスを伸ばし、外資系企業やベンチャーという選択肢も増えてきており、また転職によるキャリア形成も当たり前になってきています。

更には、YouTuberなど新たな職業(? 正しい表現が不明ですが、まあとにかくお金を稼ぐ手段です)も選択肢に加わってきており、”豊かな生活”を手に入れるためのプロセスは多岐にわたっています。

つまり、
いい大学=いい会社=豊かな人生
という因果関係は薄れてきている
のです。

実力さえあれば様々な分野で様々な方法で立身出世を目指すことができ、その実力というのは必ずしも”お勉強”だけに限られないのです。

当然、どのような分野においても”実力”というのは頭の回転の早さを必要とするケースが多く、頭の回転が早い人は結局は学歴も悪くない、という傾向はありますが。しかし勿論それが全てではありません。

このように時代の変化を背景として、”いい会社に入る”ことだけが豊かな人生を手に入れる唯一の手段ではなくなったことから、”いい大学に入る”ことの必然性も薄れているのです。

敢えて直接的な言葉で私見を述べるとするならば、昔よりも今のほうが、立身出世のためには”真の実力”が必要とされる時代になった、と思います。

これも全ての方に当てはまるかとか、事実かどうかという議論の余地はあるにせよ、いくつかの記事や傾向を見るに、一定の正当性はあるのではと思っています。

これを前提として次に考えたいのは、変化への対応能力についてです。

例えば、大手企業が早期退職者を募り、中間管理職を含む多くの方々が応募した。輝かしい経歴を掲げて転職先を探したが、希望の転職先には雇ってもらえず、なんとか入れた先でも実力が伴わず苦戦している、という記事を何度か読みました。

これを上記の仮説にあてはめると、学歴や経歴ではなく真の実力が評価される時代になったにも関わらず、その時代の変化に置いていかれてしまった人が多いのではないか、と推察することができます。

時代の変化が原因で昔のやり方が通用しなくなったにもかかわらず、自分のやり方がまだ通用すると思って若手に見当違いの指示や叱責をしたり、明らかに自信より実力のある若手を生意気だのやり方が違うだの難癖をつけて評価しない人が多いことも完全にこれです。

このように時代の変化についていけていない人たちが”最近の若者の価値観が変わった”と勘違いして嘆き、草食系だのミニマリストだの意味不明なレッテルを貼るのです。

自分たちの時代では主流だった価値観と異なる価値観を持つ世代を、まるでそれが少数派の異端であるかのように揶揄してマウントを取っていますが、実は自分たちが時代に取り残され淘汰されていく少数派の遺物になっていた、という皮肉に塗れたホラーです。

まとめとして改めて言います。

時代の変化とともに価値観は変わるという概念や事象を表面だけ捉えて流されるのではなく、その本質をしっかり考えるようにしましょう。

重要なのは表面的な理解ではなく、時代の変化に常にアンテナを張り、如何に自分自身も変化できるかということです。

冒頭に言ったように、人間の思考のスタンスの根幹はそう簡単に変わりません。

全ての情報を額面通り受け入れるのではなく、常に本質を見極める姿勢が重要なのです。

本質を見極めた上で、何が正しいのかを判断し得る確固たる評価基準を持ち続けることと、その評価基準を時代の変化に照らしてアジャストすることこそが、これからの世の中を生き抜き、”豊かな生活”を手に入れるために重要なことなのだと思います。

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