見出し画像

宿る種~幸せになるための取説

時々

エネルギーが低下してくると

無意識に人と比較し

自分以外の人

すべてが輝いて見える事が

あると思うの

そしてその様な事をして

益々エネルギーを低下させてしまうと思うの


もちろん

そんな事をする必要も意味もない事は

頭の中ではわかっているけれど

頭では理解している事とは別の

行動や思考でいっぱいになってしまったり・・・


そんな時には

私たち先人を見習って

自然から学んでみるのも

よいかなって思うの

たとえば

春になると桜が美しく咲き誇り

その季節で

一番輝いていているけれど

その間

他の多くの花たちは

メインになれず

そのほかの花たちが

どんなに桜を羨んでも

違う性質のお花たちは

今の季節咲く事が出来ないと思うの

もしも桜のようになりたいと

どんなにがんばっても

そうはなれないと思うの

でも桜が咲き誇る春が過ぎると

今度は

ほかの花たちが

メインになる季節がめぐってきて

あんなに美しく咲き誇っていた桜は

花だけではなく緑の葉も消え

何の木かわからないくらいの姿になり

また次に訪れる季節を

そっと待って過ごしていると思うの

私たち人間も

自然に咲き誇る花のように

それぞれがそれぞれのタイミングで

咲き誇れる存在なのに

まったく別の性質を持つ

花のタイミングを見て

咲かない間

羨んでいるだけなんじゃないかなって

思うの

私たち人間は

自分の周の人と比較した時

何をしてもスムーズに進み

大きな笑顔の花を

咲かせ過ごしている人を見ると

なぜ?自分は・・・と思ってしまったり

私って運がないのかなって

思われる事も

あるかもしれないけれど

たまたま自分が

その方を見た時

その方の開花時期だっただけで

人生通して見つめる事が出来たならば

その方だけが

すべて恵まれている事もなく

自分にも開花時期はあると思うの

そして人それぞれに

花の色や形も違い

種を大地にふりまき

次の世代や時代に

バトンタッチする使命を

持つ花もあれば


種を残さない花を見て

儚く感じるかもしれないけれど

その花が

存在する事で

何かしらの影響や

助けとなっている事もあったり・・・

すべて違う個性を持っているのに

別のものになろうとする事で

本来の

エネルギーや

輝きを失ってしまうんじゃないかなって

感じていたの

言葉では上手に表現できないのだけれど

人間社会の中では

原因と結果と言う流れの中で

必要以上に原因となる事を

探しすぎる

流れもあるんじゃないかなって

感じているの

自分が幸せになれないのはと

考えた時

自分に不足しているものを

原因と決めつけたり・・・

時には

周りの環境を原因と受け止めたり・・・

たとえば

今では多くの方が繋がるSNSでも

人気のある方の真似をしても

ほとんどの方が

同じようなフォロワーの数にはならないように

その方それぞれから溢れる

瞳に映らない

花の種のようなものがあるんじゃ

ないかなって思うの

「私の何がいけないと思う?こんなに頑張っているのに・・・」と

思う事もあるかもしれないけれど

こんなに文明が進化した今でも

季節を変えられないように

私たち人間にも

その人の秘めている

花のような個性があって

向き不向きがあると思うの


それぞれが違う個性を秘めているのに

平均的な幸せと言うものに

こだわりすぎていた所も

あるんじゃないかなって・・・

本当は

幸せだと感じる瞬間も

それぞれ持っていたりも

するのに・・・


相田みつをさんの言葉の中に

みんなほんものという題の言葉があって

トマトがねえ トマトのままでいれば ほんものなんだよ

トマトをメロンにみせようとするから

にせものになるんだよ

みんなそれぞれにほんものなのに

骨を折ってにせものになりたがる



という言葉があって

私たちはそれぞれに

その方にしかない

資質や個性を持っているのに

わざわざ誰かが決めた

平均的な器の中に

自分で収まろうと

誤った努力をしていて

自分が望む事のための努力でもないのに

落胆したりしていたり・・・

人には

それぞれのタイミングで咲く花を持ち

それぞれの喜びがあって

誰とも違っていても良いんだと思うの

この時代この地球上に

誰一人同じ人を作らなかった神様が

それを証明していると思うの


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?