見出し画像

バック・トゥ・ザ・ソーギョー(創業) SALMIX幻の看板よ永遠に…

今年の総括から大きく道がそれて、創業まで遡った前々回。
そして、スタジオ[BASEMENT]設立11年目とういう中途半端なこの時期にいかにしてサルミックスのスタジオが発展していったか、[BASEMENT]誕生の背景を辿った前回。

今回は、本年最後の更新にふさわしく、ビシッと締めくくりたいと。こう思っております。
その前に…、順調に軌道に乗っていたスタジオ[BASEMENT]を襲った受難について。

2010年、色んな意味で過渡期を迎えフィーバー期だったサルミックス。
その翌年、東京を、あの東日本大震災が襲います。
出来たばかりのスタジオ[BASEMENT]ももれなく被災しましたが、地下にあることが幸いして、物損は最小限でした。
その後業務を再開するも、都内の計画的な輪番停電に従って、その時間が近づいたら都度都度作業を中断し、スタジオの電源を落として待機。物々しく異様な雰囲気に、何故か地上へ逃げ出すお客様もいらしたほど。そんなこんなで日本全体の停滞の空気に飲まれるようにサルミックスも経営にブレーキがかかり、今思えば2~3か月のことでしたが、この先復活できるのか、不安に苛まれるのでした。


それから何年か後。
あの自由が丘生まれのラッキーボーイこと我が社長のアンテナが反応し始めます。


目黒通り沿いの元銀行。
「ここ広くていいなー」と思っていつも見ていた空き物件があったのです。
駅からはジャスト10分。微妙な距離にお客さんが来てくれるか不安はありました。何度も歩いてみていろんな人に感想も聞きました。正直、あまりいい感想はありませんでした。それでも、
「アフレコ録れるスタジオを作りたい!何故ならピンポンのアニメ版を見て、これウチで録りたかったなあと悔しい思いをしたから」
という野望を実現するべく強行に踏み出します。

この時の決断は運よく続々と回収されていきます。
2014年、アフレコができるスタジオ[YAKUMO]開設。

開設に浮かれる大人達


開設に浮かれる海鮮達


大量のコネクター。イチからのスタジオ作りがはじまる


機材の段ボールが山積み


アフレコスタジオ


最初はアフレコは鳴かず飛ばず。
しかしタダでは転ばないサルミックスはオーディオコメンタリーという分野を開拓しました。

2017年にはナレーションブースを増設。
翌年アフレコの仕事が徐々に増えてきて更にスタジオを増設。
ミーティングスペースSAL Laboも完備。現在オンライン会議やオーディションに大活躍。
こうしてスタジオ[BASEMENT]と双璧をなすスタジオ[YAKUMO]の躍進は、優秀なスタッフ達の功績もあり、現在にいたるのでした。駅から10分かけて歩いて来てくれているお客様には本当に感謝です。




スタジオ[YAKUMO]には、開設当時掲げていた大きな看板がありました。

とても素晴らしい看板でしたが現在は撤去しております。近隣の景観と、あまりにも合わないことが理由です。
今日、この看板が掲げてあった大きなガラス戸を、日々の感謝を込めて丁寧に磨きました。
今もサルミックスのソウルには、このカラフルな、わくわくするような看板が、いつまでも色褪せずに掲げてあります。




さて今年の総括です。

色々あった!けど頑張った!
以上です!

来年も何卒どうかよろしくお願いいたします!
良いお年を!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?