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2022.12.30 菅原道真はなぜ怨霊から天神様になれたのか?

当初は怨霊として恐れられた道真公が、いつの間にか学問、習字、和歌などの神様として敬愛されるようになったのは何故なのか?

今回は、私の住む街にも道真公が祀られている天満宮があることから、そのご縁をきっかけに書き綴っていこうと思います。


怨霊から天神様へ

日本三大祭りの一つ、大阪の夏を彩る天神祭も、2年前は武漢コロナの影響で中止になってしまいました。

天神様の菅原道真公の誕生日は旧暦6月25日で、それをお祝いするために新暦の7月25日に行われ、多くの見物客が船で大川(旧淀川)に繰り出し、川沿いや橋の上に集まった群衆と共に奉納花火を見上げる、水の都である大阪に相応しいお祭りです。

この天神祭は大阪天満宮が鎮座した949(天暦3)年の2年後に始まったとされていますから、もう千年以上の歴史があります。

そういえば、天神や天満は、神社にしても地名にしても日本中にあります。

大阪天満宮 社殿

日本三大天神とは、この大阪天満宮に加えて、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮の3つを指す事が多いようですが、それ以外にも江戸三大天神、名古屋三大天神、周防の国(山口県東南部)三大天神など各地にあり、日本全国では約1万社もあるそうです。

『天神』とは、元々雷の神様でしたが、道真公左遷に関わった人々が落雷で命を落とした事から、公の怨霊が雷神となったという伝説が広まり、道真公と天神を同一視する風潮が生まれました。

道真公の怨霊を鎮めようと北野天満宮や大阪天満宮が建てられたのですが、やがて和歌や書道の神、正直の神、慈悲の神、学問の神など多方面での信仰を集めました。

当初は、怨霊として恐れられた道真公が、いつの間にか天神様として全国各地で親しまれ、賑やかな天神祭まで開かれるというところに、我が国の明るい素直な国民性が現されているように思えますが、どうして道真公が恐ろしい怨霊から敬愛される天神様へと変わったのでしょうか。

道真公の生き方を辿りつつ考えてみましょう。

財政破綻問題解決へのエースとして送り込まれた道真

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