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2021.8.5 ロシア軍を感動させたスパイ

近代日本のスパイ活動の中で有名なのは、やはり日露戦争です。

その中でも特に活躍したのが、明石元二郎大佐でした。

今でいえば、数百億円規模のお金を工作に使い、ロシア国内の反政府組織に資金を提供。

ストライキや過激なデモを促進させ、ロシアを内部から分裂させていきました。

その活躍ぶりは
「明石1人で満州の日本軍20万人に匹敵する戦果を挙げた。」
とドイツ皇帝のヴィルヘルム2世からも評されるほど。

しかし一方で、あまり知られてはいませんが…

有名な明石元二郎以外にも、現場ではさらに多くの名もなき日本人が活躍していました。

彼らは、軍事探偵(密偵)と呼ばれる人たちで、113人がロシアに送り込まれ、そのうち僅か9人しか生き残りませんでした。

その中でも、横川省三と沖禎介という人がいます。

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彼らはチベットのラマ僧に扮して満州へと潜入。
ロシア軍の鉄道爆破などを通じて、兵站の破壊工作をずっとやっていました。

その後、任務の途中で、2人はロシアのコサック騎兵に捕まり牢屋に入れられてしまうのですが、民間人なので通常は絞首刑となります。

しかし、横川氏は自ら、
「我々は軍人と同じなので、軍人に対する礼をもって銃殺刑に処して頂きたい」
と申し出ます。

ロシア側の裁判長はそれを認めるのですが、2人のあまりの礼儀正しさ、落ち着き払った態度。

そして何より、国家のために命を懸けて潔く死に臨もうとする姿に心を打たれ、当時、ロシア軍の総司令官だったクロパトキンに
「あんな男たちを死なすの惜しい。なんとかして罪を軽くしてやってほしい」
と嘆願しました。

しかし、クロパトキンはそれを拒絶。
死刑執行となります。

死刑の判決を聞いた2人は満足そうに笑顔を浮かべ、裁判長と法務官に黙々と一礼をして去ったそうです。

死刑執行の直前…
横川氏は2人の子供に遺書をしたためました。

彼には当時、日本政府から工作資金としてもらっていた500両のお金がありました。

それを娘のために残してやりたいと思ったのですが、ふと考え直して、遺書からその記述を消したそうです。

よくよく考えれば、この工作資金は日本の公金である。
つまり日本国民の税金から来たものであるから、それを私物とすることはできない。

そこで、なんと全額をロシアの赤十字社に寄付しますと記したそうです。

これは例えるなら、日本に入ってきた外国のスパイが捕まりました。

彼は1億円くらいの工作資金を持っていましたが、死刑になる直前に、
「これから家族を苦しめることになるから、せめてこの金を娘に渡してやりたい」

と言われたら、それだけでも多少は同情してしまいそうですが…。

やっぱりこれは国のお金だから、自分のものにはできない。
だから日本の赤十字社のために全額寄付します。

こんなことを言われたら、我々だって心打たれると思うんです。
横川氏はそういうことをしたんですね。

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そして、2人は天皇陛下万歳と叫び、銃殺刑で処刑されてしまうのですが…。

この時、ロシア側の死刑執行官の一人だったシモノフという人は、実はロシア革命勃発後、日本に亡命します。

そして、当時まだ生きていた横川の娘に会うため、彼の出身である盛岡をわざわざ訪問。

「お父さんの立派な最期の様子をいつか直接お伝えしようと思って、今日まで待っていたのです。あなたに会えてこんなに嬉しいことはない。」

と伝えたとされています。

敵国のスパイだったにもかかわらず、横川氏の立派な態度は、異国のロシア人の心をも動かしたのでした…。

スパイというと、人を欺いたり騙したりして情報を盗み取る。
そんな非合法なイメージが強いように思いますが、実際、スパイの形には、その国の国民性や精神性が強く反映されると言います。

そして、日本のスパイの真髄。
明石元二郎をはじめ、日露戦争で大活躍した人たちの秘訣を紐解けば、その本質は『誠』の心。

敵でも味方でも誠意を持って接し、信頼を勝ち取ることこそが日本の最大の武器であり、その後、日本に設置された陸軍中野学校でも、
「謀略は誠なり」
という教育理念が教え継がれることとなりました。

その結果、多数の優秀な日本人諜報員が養成され、アジア諸国の独立を陰で支えるなど、世界各地で大きな成果を挙げることとなったのです。

このように、意外と知られていないことですが、事実を見れば戦前日本の諜報とインテリジェンスのレベルはかなり高いものでした。

日本の強さというのは、いわゆる著名なリーダーだけでなく、こういった現場レベルの名もなき一人ひとりの能力がとても高いということなのです。

一人ひとり、自分が何をすれば良いかよく分かっている。

たとえば日露戦争において、私はある人から教えてもらったのは、例えば200人対200人の部隊が戦闘しています。

ロシア軍の場合、指揮官や将校たちが死んでしまって、下士官兵だけになってしまうと、もうみんな何をしていいか分からず右往左往してしまう。

一方で、日本軍の場合は、指揮官がやられ大尉中尉少尉、軍曹クラスもやられ、最後に一等兵しか残らなくなっても、その一等兵が残りの200人をまとめて戦うことができる。

そう聞きました。

つまり日本というのは、本当に末端の人間まで能力は高いのです。

今はもう平和ボケしてダメだという意見もありますが、実は昔、明治維新の少し前までは、日本も元禄バブルという時代がありました。

武士が重くて刀を持ちたくないから、竹光と呼ばれる軽くて済む竹の刀を作っていたわけです。

そんなチャラチャラした時代があったかと思えば、その後の孫ぐらいの世代では、明治維新とか日清・日露戦争で血みどろになって戦っているわけです。

なので、私たちのDNAの中に眠っているものをもう一度呼び覚ませば、こういうことはできるはずです。
日本はまだまだ凄いことができると信じています。

今回も最後までお読み頂きまして、有り難うございました。

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