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2022.5.26 ロシアと仲良し「白ロシア」とは一体何者か?

ロシアのウクライナ侵攻から3ヶ月が経ちました。

そんなロシアと共に協調行動をとるベラルーシ。

彼らベラルーシ人とは、一体どのような人たちなのか。

今回は、ベラルーシのロシアや周辺国との歴史的関係性や民族について書いていこうと思います。

まず、ベラルーシの『ベラ』は『白』を意味しているので、かつて日本では、『白ロシア』と呼ばれていました。

13世紀にモンゴル人が来襲した時、彼らは方角を色で表現し、西を『白』としたことから、『ベラルーシ』という呼称となったという説などがありますが、その名称の由来ははっきりと分かっていません。

ベラルーシ人はその名の通り、ルーシ族を祖先に持つ民族でロシア人と同族でした。

しかし、14世紀、リトアニア大公国が勢力を拡大させ、ベラルーシを領有します。

この時、リトアニア大公国の一部となったベラルーシは、ロシア本体とは切り離され、18世紀までロシアと異なる歴史を歩むことになり、両者の区分も明確になっていきます。

リトアニア大公国の人口のほとんどはベラルーシ人で、支配者層のリトアニア人は少数でした。

リトアニア人はすぐにルーシ化され、リトアニア大公国は実質、ルーシ国家になります。


1386年、リトアニア大公のヤギェウォは、ポーランド女王ヤドヴィガと結婚し、ポーランド・リトアニア連合王国(ヤギェウォ朝)が形成されます。

ヤギェウォ朝は、民族的にはベラルーシ人とポーランド人の連合です。

東欧の中でもポーランド人は、民族的にロシア人に最も近いとされますが、正確にはベラルーシ人に近いと言えます。

ヤギェウォ朝時代に、ベラルーシ人とポーランド人の混血が進んだからです。

ヤギェウォ朝は強大化しますが、1572年に王統が断絶し、貴族や地主などの支配層が構成する議会で、国王を選出する選挙王制が行われます。

選挙王制で政治が混乱し、ポーランドは弱体化し、18世紀末にロシア、プロイセン、オーストリアの三国によって分割され、国家が消滅します。

この時、ロシアがポーランドから奪い取り、併合した領土がベラルーシです。

以後、ベラルーシ人はロシア帝国の下、ロシア人によって支配されます。

ロシア帝国はウクライナ人への弾圧に対し、ベラルーシ人には自治権を認めるなど、一定のレベルで寛容さを示しました。

理由は、ベラルーシ人がロシア帝国に恭順していたからです。

また、ベラルーシ語はロシア語とほとんど同じであるため、ウクライナ語禁止のような言語統制が敷かれることもありませんでした。

しかし、ベラルーシ人は、かつてポーランド国家に属していた“亡国の民”と見なされ、明らかに差別されていました。

ウクライナ人と同様、ベラルーシ人の多くが農奴として酷使されたのです。

ベラルーシ人は、ポーランドの国教であったカトリックを信奉していましたが、ロシア帝国に併合されて以降、ロシア正教会(東方正教会)に改宗する者が増え、今日では、ベラルーシ人のほとんどがロシア正教を信奉しています。

一方、ロシア帝国の併合後、ベラルーシ領域内で、ルーシ人よりもポーランド人に近いと考える人々も多くいて、彼らはロシア正教会への改宗を拒み、カトリック信仰を貫きました。

そのため、帝国から弾圧され、多くがポーランドへ亡命します。

1919年、ロシア革命の影響でベラルーシ社会主義共和国が成立し、1922年には、ソ連邦の一共和国として組み込まれます。

1991年、ソ連の崩壊に伴い、ベラルーシ共和国として独立します。

1994年以来、ルカシェンコ大統領の独裁政権が続いており、2020年、不正選挙に反発した民衆が大規模な反政府デモを起こし、今日にまで至ります。

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