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2022.8.28 似て非なるもの?『天皇』と『皇帝』の違い

608年に、聖徳太子が煬帝に送った国書で、『天皇』の称号が使われていたと、720年に完成した『日本書紀』には記されています。

しかし、これは後追いで創作されたものとする説があります。

この説では、日本で『天皇』が使われる以前に、唐の第三代皇帝高宗が『天皇』を名乗ったと捉えられています。

なぜ、そう名乗ったのかは謎とされていますが、一つの解釈として、『皇帝』を越える最高存在として、『天皇』を考えていたのではないかと見られています。

天皇てんこう』は道教の最高神であり、高宗は道教に強く影響を受けていました。

そして、高宗が名乗った『天皇』に触発され、日本も『天皇』を使い始めたとされます。

高宗の在位期間の649~683年と『天皇』称号の確立時期が綺麗に一致することからも、この説は有力であり、『日本書紀』が後から国書原文で使われた称号等へ『天皇』と書き換えたという可能性は極めて高いでしょう。

逆に、日本が608年の段階で『天皇』を使っていたのに、その後に高宗が『天皇』を名乗ったという可能性は極めて低いと考えられます。

しかし、『天皇』という称号は、中国などに向けての対外用の書き言葉であり、依然、日本国内では、天皇を『大王オオキミ(又はオホキミ)』や『スメラミコト(又はスメラギ、スベラギ、スベロギ)』と呼んでいたと考えられます。

当時、日本で天皇を“テンノウ”と呼ぶことはなかったでしょう。

『天皇』はあくまで文書上の称号でした。

その後、天皇は御所を表す『内裏ダイリ』と呼ばれたり、御所の門を表す『御門ミカド』と呼ばれました。

“ミカド”に『帝』の漢字を当てるのも、やはり中国を意識した対外向けの表現であったと考えられます。

“テンノウ”という呼び名は明治時代以降、一般化しました。

日本国内では、普段から使われていた呼び名ではなかったのですが、文書上の表記である『天皇』を、その呼び方とも一致させなければならないとする明治政府の意向もあり、天皇を“テンノウ”と呼ぶ慣習が一気に普及し、定着しました。

これらは、明治政府が天皇を中心とする、新国家体制を整備する段階で起きた変化だったのです。

では、『皇帝』の称号は、どのような由来を持っているのでしょうか。

秦王の政は、紀元前221年、中国を初めて統一し、始皇帝を名乗ります。

この時、『皇帝』の称号が誕生しました。

昨日の記事に前述した世界創造神の三皇(天皇・地皇・人皇)に加え、その世界を受け継いだ帝王である伝説の五帝がいます。

この五帝の中には、夏王朝のぎょうしゅんなどの帝王も含まれます。

三皇と五帝を合わせて、『三皇五帝』と言い、秦の始皇帝は、これら『三皇五帝』を全て統合するという意味で『皇帝』の称号を創りました。

“皇”は王と同じ意味ですが、光輝くという意味の“白”が付いています。

つまり、“皇”は“王”よりも格上の称号です。

“帝”は束ねるという意味があり、統治者を指す言葉です。

ちなみに、糸偏をつけた“締”は文字通り、糸を束ねるという意味です。

従って『皇帝』とは、“世界を束ねる光輝く王”という意味になります。

始皇帝は、自らが伝説の聖人を凌ぐ最高存在であることを示そうとしました。

隋の皇帝煬帝は、日本の国書『日出處天子致書日沒處天子無恙云云』で、日本の君主が『天子』と名乗ったことに立腹しながらも、返書を送りました。

『日本書紀』によると、その返書には日本の君主を『倭皇』とすることが記されていたとされます。

『倭王』という臣下扱いではなく、対等の『倭皇』と表記されていたというのです。

しかし、このことには不自然な点もあります。

煬帝の返書は小野妹子に渡されました。

彼は、それを朝鮮の百済で盗まれて無くしてしまったと言っています。

小野妹子に同行して日本に来訪した中国側の使者裴世清はいせいせいも煬帝の返書を携えていました。

裴世清の持っていた返書は盗まれることはなく、無事に日本に差し出されました。

その差し出された返書に『倭皇』と記されていたと、『日本書紀』は伝えています。

つまり、煬帝は小野妹子と裴世清の二人に、二つの返書を持たせていたことになります。

この不可解な話について、様々な解釈があります。

煬帝の返書は、実際には、日本を臣下扱いするものであったため、小野妹子が返書を破棄したという説などです。

中国皇帝が、当時の日本君主を“王”ではなく“皇”として、すんなりと認めたと考えるのには無理があるだろうとする諸説が根強くあります。

いずれにしても、君主の称号は、日本の国際的な立ち位置を決定する上で極めて重要なものであり、『日本書紀』などの史書も、そのことを強く意識し、『天皇』の称号について記録しています。

『天皇』は英語で“エンペラー(Emperor)”、つまり『皇帝』ですが、その称号の誕生の歴史的背景を鑑みれば、本来、“エンペラー”とは異なるものであり、やはり天皇は『天皇』としか言い表せない存在なのです。

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