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そもそもが無関心な私

「人に関心を持つ」「関心の輪を広げる」
ということを意識的にしているこの頃

…なんだけど、どこかで
「私は、人に関心を持ちたいのに持っていない」
というところからスタートしているような気がした。

なんか違う…
そもそも「人に関心がない私」がいる
というところを私自身が
受け入れていない・ゆるしていない
ように思えた。
スタートがそもそも違っていたようだし、
私という人間を誤認していたような感じ。
事実は、
人に無関心な私が、
"人に関心を持ってみたい"
"人に関心を持つと、どうなるんだろう"
というふうに変化しているんじゃないか…

「人に関心がないんだよ」
と人に言われても、それ自体を
私自身が自覚していない間は
"そもそも"の根底がわかっていないから、
聴いてもスルーしているんだね
引っかからない
だから変わることはない

⚫︎今日知った私の部族的信念
人に関心を持たないといけない

⚫︎今日、得たもの
無関心な私がいること

⚫︎今日、得られなかったもの
人と関わることで感じる心からの嬉しさや喜び

〜私の「部族的信念」の定義〜子どものときに、家族、教師、宗教的しつけなどによって植え付けられる無意識の前提