見出し画像

“何も知らないこと”の喜びを感じさせてくれた柴田聡子

柴田聡子『Your Favorite Things』

 アルバムを聴き始めて、1曲目が進んでいる中で “これはとんでもないものを聴いている” という気持ちが湧き上がってきた。その気持ちは曲が進むたびに増幅されるのみで、アルバムを聴き終えた瞬間に ”とてつもない作品と僕はいま向き合っていたんだ” と思うばかりであった。聴いている環境が浴室にも関わらず。そう、音楽を聴く環境としては決して健全ではない環境下でそう感じたのだから、アルバムの持つ力が環境をも上回ったということだろう(いや、リラックスできる場所で感じたのだから、これは正しい環境なのかもしれない)。

 実のところ、これまで僕は柴田聡子の音楽に真正面から向き合ってきたことは一度もなかった。名前を知っている。それくらいと言っていいだろう。ただ、それに理由はない。その時が来たら聴くだろうくらいの感じだったのだ。そしたら、今に至るまで触れないままになっていた。
 しかし、今回のアルバムに関しては本能で “聴かなくちゃ” と感じたのだ。それはきっと無意識下で僕の中に何かがあったからに違いないし、このアルバムから何かを感じ取ったからかもしれない。簡単に言えば、聴くときが今この瞬間に訪れたということなのだろう。

 10曲35分。それはあっという間であった。僕はこの35分間の中に何を見ていたのだろうか。それを言語化すると、あまりに稚拙になってしまうのだが、見えるものはただそこにある音楽だけであった。音楽以外ない。頭の中に何のイメージも浮かばなかった。景色だの空気だの、なにひとつ浮かばなかった。ただただ、音楽が浸透してきた。そして、ここにある10曲は感情をダイレクトに揺さぶってきた。    
 そこで生まれる感情は “これはすごい” しか芽生えてこない。こんなアルバムっていつ以来だろう。どんな作品を聴いていても、大体、メロディが、アレンジが、歌が、言葉がみたいなことを考えてしまう。しかし、今回のこの作品にはそういう気持ちを一切抱かなかった。というか、このアルバムはそうさせなかった。ただただ、すごい。本当にそれしかなかった。柴田聡子の音楽に身を委ねるだけだった。そして、その音楽にのみこまれていた。

 それはもしかしたら柴田聡子に対する先入観が全くなかったからかもしれない。これまでの作品をしっかりと聴いていない(というよりもほぼ知らない)状態であったからこその驚きだったのではないか? つまり “柴田聡子ってこんなにすごいのか!” ということなのだ。比較するものが何もなく、この1枚のみで向き合う。だからこそ、すごいしか思えなかったのかもしれない。

 何度も何度も聴き込んでいくと、きっと、楽曲の構造だったり、そういう分析的側面から捉えることができるはずだ。 “○○が○○だからこれはすごい” みたいな(よくレビューという名の考察で見かけるやつ)。でも、そういうものをすっ飛ばしてこのアルバムに触れることができた僕はものすごく幸せなのかもしれない。そして “今まで何で聴いてこなかったんだ” なんていう負の感情よりも、“これまで聴いてなくてよかった。それにこれからどんどん知ることが出来る喜びがある” と思ったのは本当に初めてだ。知らなかったことがここまでプラスに働くことがある。知らなかったことは恥ではなく、喜びだ。それをこのアルバムを通して教えられた。

 とにかく、言えることは柴田聡子に触れたことがない、何も知らない、そういう人にこそこのアルバムを聴いてもらいたい。真っ新な状態でこのアルバムに向き合える幸せを感じてもらいたい。純粋無垢に向き合える喜びを噛みしめてほしい。何も知らないに等しかった僕のその思いは間違っていないはずだ。だから、このアルバムの中身がどんなものかはここで語らない。それすらも余計なものに思えてしまうからだ。

 ただ、これだけは言える。断言できる。すごいアルバム。とんでもない名盤。とてつもない傑作。2024年に産み落とされた最高の音楽がここには詰まっている。
 この先、僕のそばには柴田聡子の音楽がずっと鳴り響いていくことだろう。それはもう間違いのないことだ。僕の中の新しい扉が開いたのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?