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わたしにとってもサンクチュアリな諏訪大社前宮

鳥居をくぐり坂を少し上ったその場所は、自然の風景をそのままにまとう。
素朴なほっとする佇まいの、聖地。



なんというか、桃源郷。わが故郷でもあります前宮。


下界から一歩足を踏み入れた瞬間。
なんというか、空気が変わるのです。
鳥居をくぐり少し坂道をのぼり、清流の水音が聞こえてくると。

神社の周りを流れゆくのは、水眼(すいが)とよばれる清流。
その清らかな流れに耳を澄ませ、冷たい水に手を浸した瞬間。

スーっとからだとここをが軽くなる。
浄化されて満たされる感覚。
「あぁ、またここに来れてよかったな。」って元気になるのです。


そこはお諏訪さまで親しまれている、4社ある諏訪大社の中の一つ。
そもそもお諏訪さまにはご本殿はなく、山や木をご神体としているのですが、この前宮にはご本殿があります。

それから7年に一度、かの有名な御柱祭が執り行われる地です。
神社のまわりを、何日もかけて人の手によって引き運ばれてきたモミのマザーツリー4柱で囲み祭るのです。

わたしも5歳くらいだった当時、じいちゃんが頭となって率いて引いてきた御柱が、
前宮(安国寺と地元民には呼ばれている)に立つのをこども木遣り(掛け声を歌ってかける)で

「ヤァ~、山の~かみさま~。おね~が~~ああああいだぁ~」
「よいさーよいさー!」←御柱をくくった綱をみんなで引く掛け声

と夢中になって立つところを応援、固唾をのんで見守ったことを思い出します。


家からは本宮の方が近いので、七五三などもそちらでやった思い出がありますが、
産土様でもあるからなのか、じいちゃんに手を引かれよく通っていたからなのか。
いまも里帰りの度に往復1時間ちょいかけて(車だと10分なのに)
ウキウキと足を運ぶのは、前宮のほうなのです。(最近は足を延ばして上社までお参りするコース)


ひっそりとたたずむ、自然な姿。

そっと抱く原風景は、こころの栄養になってもいる


かの有名なスピリチュアリスト江原氏が、
「日本屈指のスピリチュアルサンクチュアリ。」と賛していた前宮。

日本という国に備わっている、自然そのままの理想的な聖地だということで。
なるほど、やっぱりそうなのねぇ~と思いつつ。


私はとくに、清流・水眼が昔からすきでした。
それで4年前ついに、山の頂にあるその清流の水源を偶然訪れるタイミングが。(本当に不思議な成り行きだった)

さらに静かで空気が澄んでいるその場所は、
なんだかうっすら記憶があるような気もして。(幼いころにじいちゃんたちと訪れたのかもしれない)
だとしても30数年ぶりの再会。

源流を知ることは、なんだか自分の出所を知ったような感覚でもあって
なんとも心強くしみじみうれしく感じたのでした。


ふるさとや慣れ親しんだ原風景は、そこに身を浸してはなおのこと、
たとえ都会の片隅にいても想い馳せることで、こころの栄養になっている。

きっとだれでも、大切なそういう風景を、こころの小部屋に抱いているのかな。
私の場合のそれは、この地の風景なのでした。





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