第1章〜相撲人気の隆盛と衰退〜(1161字)

今回の春場所を語るには、大相撲人気の変遷について語らねばならないと思う。

(私の経験と主観に基づいておりますので、ご理解のほど。)

子どもの頃夕飯時、気づけばチャンネルはNHKに合わされており身体の大きな力士たちの一対一の闘いを映し出していた。

千代の富士、北勝海、大乃国、小錦、旭富士、霧島、寺尾、北天佑、琴錦、朝潮、、、、個性あふれる力士たちの取り組みに手に汗握りながら贔屓の力士を応援していた。

昭和から平成に移ると貴乃花、若乃花、曙、武蔵丸、貴ノ浪、魁皇、千代大海、武双山、栃東、出島、雅山、、、、新時代の相撲界を盛り上げてきた。

そして時は流れると、色んな意味で不世出の力士の登場によって相撲界に変化が訪れる。

**朝青龍 明徳 **(ドルゴルスレン・ダグワドルジ)の登場である。

スピード・パワー・テクニック。相撲が持つスポーツとしての側面から見れば、彼はまさにパーフェクトな相撲プレイヤーだったと私は思う。それまでに類を見ないアスリート的な力士ではなかっただろうか。「心・技・体」の研鑽を謳い続けてきた大相撲の中で他のアプローチを持って「頂」まで登りつめる者の登場は私及び相撲ファンに衝撃を与えた。

そして朝青龍の突出した実力によって好敵手不在の相撲界は徐々にその見方に変化が起き始める。

強すぎる横綱は時として、RPGのボスのような存在として扱われる。いつか彼を倒してくれる勇者を待ち望んだ。

時として、当時の大関陣(千代大海・魁皇・栃東)が奮闘し優勝を手にするとその盛り上がりは半端なく盛り上がり、綱獲りを期待するも次の場所までその爆発力が続かなかった。

2003〜2006年の間、朝青龍の絶対的強者の立場は崩される事はなく7連覇を含む24場所中18場所で優勝を飾る驚異的な強さを見せつけた。

そして2007年、ようやくライバルが台頭してくる。

白鵬 翔である。

絶対的強者として相撲界で君臨し続けたモンゴルの先輩・朝青龍の前に現れた好敵手は、「パワー・スピード・テクニック」だけでなく「心・技・体」をも併せ持った完璧超人だった。

ヒール対ベビーフェイス。プロレスでは定番の形だが、同じ格闘技の世界とはいえ相撲界にこれほど明らかな形で現れた事は未だかつてなかったのではないだろうか。

やがて白鵬の実力は朝青龍を抑え込むほどにまで成長し続けた。

その一方で朝青龍はヒールよろしく場(土俵)外でのプレイもワイドショーでお茶の間を賑わせた。

それでも相撲の人気は良しにつけ悪しにつけ注目され続けた。

しかしその「悪し」の方が目立ち始めると、さすがに人は離れていく。

朝青龍の暴行事件による引退(勧告)、野球賭博問題、白鵬の一人横綱時代。

相撲人気は衰退の一途をたどり、そしてトドメの八百長問題。名古屋場所の中止や多くの力士や協会関係者が処分されることとなった。

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