「命どぅ宝学」:歩く速さで命を見つめる(広島学院中学校・高等学校における平和教育の試みの紹介)

「必要なものを詰め込んだ5kgと少しのリュックサックを背負い、僕たちは3日間、読谷村から荒崎海岸までの約90km、13万2900歩を歩いた。沖縄県民の死者数ははっきりとはしていないが、12万から15万人と言われている。ということは、僕の踏みしめた一歩一歩の数と同じだ。そこに死体があったということだ。僕たちが歩いた地には一人ひとりの人間がいたのだ」(伊藤潤「歩く速さで命を見つめる」『キリスト教学校が大切にするいのちと平和の教育 未来への責任』キリスト教学校教育懇談会編、2023年、ドン・ボスコ社、37頁)

 広島学院中学校・高等学校において教鞭を取られている伊藤潤先生(英語科教諭)は、同校のIgnatian Leadership Program(以下ILPと記す)という独自の倫理宗教教育の一環で、高校2年生を対象として7年前から「命(ぬち)どぅ宝学」というゼミを開いている。この言葉はそのゼミに参加した学生が書いたものだ。

 広島学院では、一般的なカトリック学校で設けられている「宗教」や「倫理」といった科目の代わりに、各学年でILPの時間が週に1時間設けられている。 この6年間のプログラムのうち高校2年生では、教員が自身の問題関心や得意分野に即してゼミナールを開講(毎年だいたい15程度のゼミが開講され、「生物多様性」や「金融工学」、「聖書入門」や「お笑い研究」などの分野も開講される)し、生徒は自身の関心に合わせてそれらから一つのゼミを選択し、約1年間をかけて少人数で学びを深めていく。

そのゼミのうちの一つである「命どぅ宝学」のゼミには毎年10名前後が参加する。このゼミの目的は名称のとおり、「命を大切にする生き方を学ぶ」こと。そのために、沖縄を題材として取り上げる。多くの人が知っているように、沖縄は第二次世界大戦で激しい地上戦が行われた地だ。このゼミでは、1学期に沖縄戦の概論を学び、2学期に入ると各ゼミ生が興味をもったテーマで研究・発表を行い、2学期の終わりには、実際に冬の沖縄に赴いてフィールドワークを行う。そして3学期にはゼミ生が文集を作成する。 たとえば、修学旅行などのような仕方で、クラス単位や学年単位でバスに乗り込み、さまざな史跡や戦跡をまわりつつ、平和について学習してゆく体験は生徒一人ひとりにとって貴重なものだろう。しかし、「歩く速さ」でしか見えてこないものもまたあるのだと、このゼミを開講する伊藤先生は言う。

このゼミの山場はなんといっても、冬休み期間中に実際に沖縄で行うフィールドワークである。このフィールドワークでは、沖縄本島の中腹(読谷村・嘉手納町・北谷町のあたり)から、沖縄本島の南端にある荒崎海岸までの80〜90kmを4日間をかけて歩く。これは第二次世界大戦時、米軍が侵攻し沖縄の人々が逃げた道のりと重なる。生徒たちは基本的に栄養補助食品と水、スポーツドリンクのみを食事としてとって、歩き続ける。これは、「戦争当時の食べ物がなかったり少なかったりした状況を追体験する」という目的がある。実際、戦争体験者の方は、黒糖を持って逃げ、それを削りながら大切に食べていたという。このように生徒たちは歩きながら、道の途上にある碑や史跡をめぐり、戦争体験者の方の証言等の動画をノートパソコンで視聴しながら、実際の場所やその空気感を味わう。または、平和活動等、沖縄で活躍されているさまざまな方の話を実際に聞く機会もある。 ゴール地点の荒崎海岸にたどり着くと、4日前にまるでピクニックのように楽しく歩いていた生徒たちの表情は全く違うものだという。彼らは、それまでの道のりを思い返し、真剣に海を見ながら涙を流すというのだ。その思いの一つは冒頭でみた言葉につながっている。

伊藤先生は沖縄を歩く理由を次のように言う。
それは沖縄には「小さくされた方々」がたくさんいるからです。戦争で亡くなった方々、偶然生き残った方々も本当につらい思いをされています。現在も基地問題に悩まされている方々がいます。民族差別を受けていたり、あるいは構造的な差別のもとでつらい思いをされていたりする方々がいる。だから沖縄につれていこうと思いました。(同上、36頁)

他方で、実感として伊藤先生は、このゼミに参加しようとする生徒すべてが、必ずしも最初からこのゼミの意図に適っているわけではないという。
ではこの僕のゼミに誰が参加するのか?沖縄戦に関心がある、平和に関心がある、命に関心があるという生徒はほとんどいません。最初は皆、無関心でやってきます。他のゼミに興味がないとか、高校時代の思い出作りに90km歩いてみたいという子がほとんどです。マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではない。無関心だ」と言っています。その無関心な子たちに対して、関心をもってもらいたいという思いをずっともち続けて今年で8年目になりました。無関心からまず関心をもってもらうこと、そして次は関心が行動に表れること、これを目標にこの活動をずっと続けています。(同上、36頁)

生徒一人ひとりがタブレットを持ちながら、大人の社会と同様に学習の効率と早さなどが求められる昨今の学校を取り巻く環境の変化にあって、「命どぅ宝学」が示してくれる本当の意味で生徒が学び「変わる」このプロセスは、あくまでも「歩く速さ」でこそ見えてくる価値があるということを実感させてくれる。

〈参考文献〉
伊藤潤「歩く速さで命を見つめる」『キリスト教学校が大切にするいのちと平和の教育 未来への責任』キリスト教学校教育懇談会編、2023年、ドン・ボスコ社。

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