やさしいね、あなたは

恋人が「『優しい』って、時には悪口にもなるけれど、さっきの君が発した『優しい』は純度100%だった気がするから嬉しい」と言ってくれたことがある。ずっと胸にじんわり残っている。

自分が1番自己嫌悪している部分を「優しい」と捉える人もいるらしい、と気づいたのは多分去年の秋頃、人に「君は優しいね」と言われたことから。私の嫌いな私の部分は他人にとっての優しさになるらしい、いやいや、そんな、
そのときは「優しい」って純度100%の褒め言葉だと思っていたから拍子抜けしたけど、今その言葉を投げられたらちゃんと落ち込んでしまうかもしれない。

私は「優しい」を褒め言葉だとは思わない。

私にとっての“優しい”とは誠実さ、というか、私はずっと誰かに誠実でありたいと思っている、
思っているのと裏腹に結構ズボラでガサツなところがあるから難しいし、誰か一人に誠実でいるためには誰かには不誠実でいなければいけなかったりする


過去の不誠実が私をずっと見つめてきて、その度に私は希死念慮に逃げようとする、そんな時間があるから他人を求めるという依存の悪循環のなかで、あぁ、結局私って生きてちゃダメなんだろうな、と思ってしまう

職場の人間関係、蚊帳の外だから尚更くるしいと思ったり思わなかったり。いっぱい一緒に働いてきた人達が実は不仲らしくて、私はあなた達の優しさに触れてきたからこそ、あなた達に仲良くして欲しかったと願うばかり。
人づてに聞くあなた達の悪いところであなた達のことを疑いたくないから、もう何も言わないで欲しい。何も私に伝えないで。


同期に、恋人ができてから、明らかに幸せの土台に立っていると言われた。
たしかに、私の存在をまるっと肯定してくれる人がいて、存在をまるっと肯定して良い人がいるという事実に甘えてる節がある。

“お付き合い”という契約を結ぶということは、最優先で誠実でいるべき存在になるということ、私にとってはそう。優先順位がつけられない私に最優先事項ができたようなもので、優先順位がつけられないことによって病むことが多かったんだからよかったねと言われたこともある。

自分の不誠実が嫌すぎて、自分の不誠実が嫌で嫌で仕方なくなったらきっと恋人のことも何もかも置いて死んでしまうでしょう、きっと逃げてしまうだろう、
確かに愛されている今も、なぜ愛されているのかわからないという根拠の無い愛への恐怖で恋人を突っぱねてしまうかもしれない、恋人のことを拒みたくないけれど、拒むという事実が予定された未来のように感じてしまう、


今日も愛を全部まっすぐ受け止められないその不甲斐なさに、不誠実さを感じてかなしくなるの

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