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小学一年生のランドセル

新年度がスタートする。この時期にいつも思い出すことがある。
娘が小学校入学したての頃、とても切ない思いをして娘の後ろ姿を見送ったものだ。

娘は早生まれで3月で6歳になったばかり。
その小さい背中に大きなランドセルを背負って登校する。
毎朝、登校班で早歩きの班長のあとを小走りで一生懸命付いて歩いていた後ろ姿は、今でも忘れられない。
母親と離れて、まだお友達とも呼べない登校班のお兄ちゃん、お姉ちゃんと30分かけて歩いて通っていた。

その時の私は別居をして3年が過ぎ、ようやく離婚が成立した頃だった。
離婚後、私の心がまだまだ不安定だっただけに、娘の背負っているランドセルが余計に重く肩にのし掛かっているように見えた。あの時の娘の心労を思うといたたまれない気持ちになる。

今思うと、私と娘の心はシンクロをしていたのかもしれない。

私は今までのこと、これからのことが不安で不安でたまらなかった。そういう気持ちを娘は感じ取っていたのだ。
言葉で言わなくても伝わってしまうもの。
自分の気持ちをコントロールできなかった。
私の心が娘の心へ合わせ鏡のように映ったのかと思わざるを得ない出来事があった。


前の晩、辛さに堪えきれず泣きながら眠った。
朝もその余韻が残っていた。
しかし、娘は学校、私は仕事へ行かなければならない。
一緒に家を出る前、
「ママがいい〜」と娘は泣き出した。
私は甘やかしてはならないと強引に連れ出した。

登校班の集合場所にみんなが集まっている。
「よろしくお願いね」と私は班長のお兄ちゃんに言った。
うつむき気味の娘。
大きなランドセルを背負いトボトボ歩く後ろ姿を見送り、仕事場へ向かう。私も足取りは重い。
仕事が始まると気持ちを切り替えてやりこなす。

ポケットに入れていたケータイが鳴った。学校からだった。
娘は体調を崩し、学校の校門のところで吐いてしまったと…


お迎えに行くと保健の先生が、
「お母さん…こんなになるまで…」
私がちゃんと娘の事を見ていないかのような口ぶりだった。
「はい…すみません。ご迷惑おかけしました…」
それしか言えない。
心配して言ってくれていたのだろうけど傷ついた。

「こんなになるまで…」放っておいたわけではない。
ただ、心に余裕がなかったのだ。どうすることもできなかったのだ。
離婚して母娘の二人暮らし。
私は仕事をしなければ生活ができなくなるという気持ち。
遅刻してはみんなに迷惑がかかる。
小学校一年生になったばかりの娘を家に置いて仕事には行けない。
娘は熱があったわけでもない、甘やかしてはいけないという親の傲慢を押し通した。

娘は訳が分からず体調にまで支障をきたした。
可哀想なことをしたと今では思える。

『心の余裕』
あの時は無かった。
自分が自分でなくなる。
常識のレールからはみ出してはいけないと必死でもがく。
どんなに強い人間だって、辛い時は辛いのだ。
寄り添う気持ちや優しい言葉も持てないほどに。

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