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夢【後編】


美彩は合唱コンクールに向けて全力で練習に励んだ。それは、美彩にとって自分を変える良いチャンスだった。

歌うことが好き。
歌うことで、心の鎖や重りがなくなる。夢へ羽を広げて飛び立てるような気がした。
夢…美彩の夢は…

毎日の課題曲の練習、ソロパートの練習、ボイストレーニング、喉のケア、首顔のストレッチ…やれることは全部やる。
何かに一生懸命に打ち込んだことは初めてだった。
昨日の自分より今日の自分の方が、確実にバージョンアップしていると感じる。やれることが一つずつ増えていく。楽しい。苦しくなんかない。
そして何より、仲間と心を一つににして目標である県大会に出場することが励みになっている。
歌ってこんなに素晴らしいものなんだと思った。

合唱クラブの練習が終わって家路を急いで帰る途中、トントンと肩を叩かれた。
「よっ、久しぶり」
「え?」美彩は一瞬誰だか分からなかった。薄暗い中、目を凝らしてよく見ると声をかけてきたのは、『キライ』と言われたあの子だった。
「学校の帰り? 今何してんの?」
明らかに化粧が濃く、身なりは派手だった。
「合唱クラブに入って、今度コンクールに出るんだ」
「へー、あんた歌上手かっもんな」
「あぁぁ…あの時はごめんね。私傷つけるようなこと言っちゃって…」
少し沈黙が流れた。
「いいなぁ、好きなことができるって」
「中田さんは足が速かったじゃない? 中学校の持久走はいつも一番だったよね。密かに憧れてたんだよ。今は走っていないの?」
「ううん…あんまり学校行っていないんだ…」
中田は足が速かった。人間って何か一つは取柄がある。中田はなぜそれを伸ばそうとしなかったのだろう。
中田は公園のベンチで今までのことを美彩に話した。
やはり足が速いこともあって推薦で高校に進学した。しかし、膝の故障でちょくちょく部活を休むようになってからやる気が薄れてしまったと言う。どうにも煮え切らない想いを話している。
「中田さん、リハビリはやっているの?」
「それも…もうどうでもいいやってなちゃって…」
「ダメだよ! 諦めちゃダメだよ! スケートの羽生選手だってメジャーの大谷選手だって怪我したって復活してるじゃん、リハビリからがんばろうよ」
「うん…」

7月になり暑さが一層厳しくなってきた頃、合唱コンクール県大会の日がきた。仕上がりは上々だった。
みんなの心を一つにして、私たちの歌声は天に昇ってまた会場に降り注ぐかのように見えた。
そして、美彩のソロパート。美彩は全身全霊で歌う。高音部分の鳴りが心地良かった。
自分のために歌う。みんなのために歌う。
私の夢は、歌を聴いた人が笑顔になって幸せを感じてもらうこと。そう、感じた。

県大会の結果は見事に優勝した。
今度は支部大会に出場する。そこで優秀な成績を出せば全国大会だ。
美彩は夢が大きく膨らんで行くのが嬉しかった。

8月…友人の快挙にも心が踊った。
全国高等学校陸上競技大会の記事が新聞に載っていた。
1500m走 一位 中田 舞子

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