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大地震で気づいたこと

今年の初め…大地震があった。
地震は時と場所を選ばない。
なぜ、1月1日のお正月なんだ…
家族が集い楽しい時間を過ごすこの日に。

そんなことを考えていたら、あの大地震のことを思い出した。
2011年3月11日 14:46ごろ
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が起きた日。

私は、保育園の給食室で働いていた。
お昼が終わって子供たちが食べ終わった食器類を片付け終わろうという時だった。
グラッと横揺れが来たかと思ったらドッドッドッドッと縦揺れに変わった。
窓ガラスが今にも割れるんじゃないかと恐怖におののいた。
保育園ゆえ、小さな子供たちがいる。
私は、給食室の隣の0歳児を預かっている部屋に行き、まだ数ヶ月の赤ちゃんを抱いて揺れが収まるまでジッとしていた。

揺れが収まって子供たちにケガはなく、建物にも被害はなかった。とりあえず安心した。
抱っこしていた赤ちゃんを先生に返して給食室の後片付けをしてしまおうと、あたふたしていた。
すると、
「ここはいいから、あなたは娘さんのお迎えに行きなさい」
園長先生が言ってくれた。
娘は、学校が終わるとその学校の敷地内にある学童に行くことになっている。気が引けたが私は帰る決断をした。
私の住んでいる町の隣接している工業地帯のタンクが爆発しているとのこと…園長先生はこれを思っての帰宅命令を出してくれたのかと思うと嬉しかった。
『うわぁ…ただ事ではないぞ』

車で帰る途中、黒くもうもうと煙が上がっているのが見える。
それがだんだん近づいて来る。爆発音も聞こえる。
『まさか、娘の学校に被害が出ているのか?』
近づく黒い煙の柱を間近に見て泣きそうになった。
『今日は娘の8歳の誕生日なのに…』

もうすぐ娘の小学校に到着する。火の手は上がっていない。スッと胸を撫で下ろした。
学校の敷地前の道路にさしかかって一瞬のことだった。
黒い物体が目の前に見えたかと思ったら、バキッと何かを車で引いた。
何を引いたのか分からなかった。黒いカラス? 
校長先生が手に持っていた物…引いた物は黒い1m四方の鉄板だった。
なんでこんなものが空から降ってきたのだ?

近隣の工業地帯のタンクが爆発して飛んできた物だった。直線距離にして4.2km。
もう少し先を走っていたら…と思うとゾッとした。
私も危ない目に合うところだった。
『ご先祖様、守ってくださってありがとうございました』

娘も無事で良かった。
安心して車に乗ろうとした時、また爆発音がして火柱が上がるところを見た。
とにかく、今日は娘の8歳の誕生日なので予約していたケーキを取りに行こうとしたが、道は大渋滞でちっとも進まない。
諦めて家に帰ってテレビをつけると、未曾有の大災害が流れていた。

とんだ誕生日になってしまった。
でも、その日のうちに無事に家へ辿り着けたことは、本当にありがたいことだと思った。
雨風をしのげる家があること
夜でも明るく電気がついていること
温かいお風呂に入れること
美味しい食事がいただけること
暖かいお布団で眠れること

これは当たり前じゃない、幸せなことなんだと気づいた。

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