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かけがえのないもの

 今、父にしてあげられることは話し相手と食事の準備。
 足腰には少し不安があるけれど、頭の方はしっかりしているので週一回作り置きの料理を作りにいく。さぁ、今週も父の所へ行く時間だ。
 御年90歳で自立して生活をしている。少々、頑固なところはあるけれど笑顔で暮らしてくれているのだから、まあ、良しと思うようにしている。
 90歳の父にとって毎日の食事作りは到底無理な話。私一人でも『自分だけならお昼は何でもいいや』という考えになる。父も放っておいたら、カップラーメンの山になることは間違いない。
 好きなことを好きなようにやってきた父。亡くなった母や私とよく喧嘩はしたけれど、やっぱり笑顔で長生きしてほしい。そして、自分を貫いた生涯を送ってほしいとも思う。

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 私は、嫁に行った身なので主人のお義母さんと暮らしている。23歳でこの家へ嫁に来た。2人の子が授かり、その子たちをお義母さんに見てもらいながら、私は仕事に行く。本当にありがたいことだと思った。しっかり者のお義母さんなので安心して毎日の生活を送れた。
 しかし最近、このお義母さんの様子がおかしいと感じている。
「陽子さん、私の財布どこだっけ?」
「陽子さん、病院行く日はいつだっけ?」
「陽子さん、今日のご飯は何?」
 毎日毎日、同じことを聞いてくるようになった。見ていると、主人にまで同じことを聞いている…
 これはもしかしてと思い、かかりつけの医師に相談をして専門医を紹介してもらった。

 “認知症” の診断が下った…

 それからというもの、同じことを聞かれ続け頭がおかしくなりそうになった。主人は同じことを聞かれるとだんだんと声が大きくなる。
「だから! さっきも言ったでしょ!」
「え? 私は何も聞いてないよ、それにしてもアレはどこにやったのかしら」
「あーー! もう!!」
 私は、とにかく主人とお義母さんを離した。
「お義母さん、今日はもう遅いから寝ましょうか…」
 そんな言葉でしかその場を収められない。
 認知症は“忘れたことも忘れてしまう” というように、数時間前のことも忘れてしまう。だから、同じことを何度も言ったり聞いたりするのだ。
 主人も私も頭では理解していても、気持ちがついていかないくらい追い詰められていた。
 また、お義母さんも『どうして息子はこんなに怒っているんだろう』と顔を歪め少し涙ぐんでいる。
 私はお義母さんの背中をさすりながら、どうしたらいいものか考えても落胆の気持ちが邪魔をして、前へ進めようという気にはなれなかった。
 また明日になれば、同じことの繰り返し…現実から逃げたかった…

 また次の週、父の食事を作りに行った。『気が重い…』お義母さんのことがずっと頭から離れない。沈んだ心で父との会話も少なかった。父も認知症になっていないか不安になる。
 母が他界してから10年以上が経つ。父は一人で食事するのは慣れたと言っていたが、やはり味気ないし淋しいものだろう。
 そんなことを思いながら作っていると
「陽子、何があったんだ?  良かったら話してくれないか」と父が私の顔を覗きこんできた。
 その途端、私の感情は水を貯めているダムが放水をするかのように一気に溢れ出た。誰が悪いわけでもない。現状に流されているだけ。この状態をどうすれば良いのか分からず、ただ涙を流しながら父に思いの丈をぶつけた。
 父は黙って、私の吐き出す言葉に耳を傾けている。ひとしきり泣いて思いを言ったら、今度は父が口を開いた。

「陽子や、お前も大人になったんだな。
若くして嫁に行って大丈夫かと心配したけどな、
子育ても良くやってると感心していたよ。
子供が大きくなれば、自分も一緒に歳をとる。どんどん歳をとるとな、人間って赤ちゃんに戻って行くんだと。
だからな、向こうのお義母さんを赤ちゃんをあやすように接したら、お前の気持ちも少しは和らぐんじゃないか。
認知症は忘れることも忘れるって言うだろ。
何にも知らない赤ちゃんでいつもニコニコしていてもらえれば、こっちもニコニコしていられる。
正論をぶつけても赤ちゃんにはわからない。赤ちゃんにだって感情はあるから怒って泣いたりするよな。
だから、お義母さんには心をまっさらにして声かけすればいいんじゃないか。
それで生活していけばいいんじゃないか。
いつも笑顔でな」

 そうか…そうなんだ。
 赤ちゃんは何も世の中のことなんて知る由もない。正論なんてどうでもいいことなんだ。
 私の子供たちも「どうして空は青いの?」とか、いろいろ答えられないような質問を「どうして? どうして?」と何回も聞かれたものだ。
 私が子供をあやしたように、その気持ちでお義母さんに接すればいいんだ。お義母さんが気持ちよく過ごせたらそれでいいんだ。笑顔でいてくれるお義母さんであってほしい。

「その気持ちを忘れずにな、陽子がちゃんと向き合えば
“かけがえのないもの”としてお前にちゃんと返ってくるよ」
 私の手を取り、父は『うんうん』とうなづいて
 介護というものは、双方にとって心の重荷になるものだ。
 しかし、人と真に向き合うことのできた人には、必ず"かけがえのないもの"が最後に用意されていると父は言う。
 私はそれを信じたい。

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