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一重と二重の話

私が人を見る時に
見てしまうのが「目」。

瞳の大きさや輝き、
目から伝わる気持ちや心理、

色々あるけど、
何よりも二重の人が多いと思う今日この頃。

人を見る度、二重、、いいなぁ、、って。

ここに集まっている何人のうち、何人が二重だ。
そうカウントしてしまうことさえもある。

自分は自分だから、めちゃくちゃ二重にしたい!とは思わないけど、毎回そう感じてしまうということはひとつの強く感じるコンプレックスになっているからなのかもしれないと思った。

次もその次も、似顔絵をよく描いていた私は無意識に顔のパーツを見てはいいなと羨む。

背丈が小さい、シュッとした輪郭、鼻や可愛らしい口、かわいいえくぼ、口角の上がり方、綺麗な歯並び、細くてさらさらとした髪の毛、、
ひとつでも可愛らしいパーツが顔の中のひとつでもあれば雰囲気は可愛くなる。

私には何ひとつ備わってないのだ。


私は顔全体がコンプレックスであるということ、だからこそ写真に写るのが怖いこと、苦手なこと。


だから被写体のモデルさんを見る度、
すごいなぁと関心する。


自信に溢れてるモデルさんは、撮影者の写真を引き立てる力を感じるから。


自信に溢れているモデルさんが写真に写ることでその1枚の写真が完成する。

ただ、モデルさんは綺麗な人で二重の人が多く、一重の人って見ないに等しい。

二重のその目をアップの写真を見るだけでも可愛い、綺麗だと感じることさえもある。

でも、本来なら二重だの一重だのは関係なく、自信に満ち溢れているからこそ輝いて見えるはず。

しかし、
コンプレックスに感じている私は
正直、そんな風に素直には思えない。

二重の目をアップにして映した写真。
それを一重の人で試すと味気がないなぁで終わってしまうのでは。
だから二重しか選ばないのではないか。

試しにセルフでカメラで撮ってみたこともあったが見たくないほど醜く感じてしまって、自分が嫌いになりそうになった。


黒目の面積が狭いが故に、
影になってしまう部分が多く、
綺麗に瞳を映すことさえできない。

そもそも、なぜここまで私が目に
コンプレックスがあるのか。

小さい時から、
口がでかいのに目は小さい
鼻はでかいのに目は小さい
顔でかい

そう言われてきた。

今でもそう言われることもたまにある。

その時は、「なんでよ〜」と冗談っぽく返しているが、その言葉は少しずつ私の中に蓄積されていった。

私は外見に自信が無くなってしまい、中学に上がった頃からずっとマスクをして生活していたほどだった。


高校に入ったと同時に私は勇気を振り絞ってマスクを外して生活するようになったが、みんなでインカメで写真を撮る機会が多くなった。
その映っている写真を貰う度に周りと比較してしまい、落ち込むことすらもあった。

すると段々、私のインカメの写真はマスクしていることが多くなった。

最近、二重整形の動画がインスタによく流れてくるようになってきた。

二重整形が段々と気軽にできるものになってきているんだなと感じた。
そんな中、友達も二重整形をした。
メイクが楽しくなると言っていた。

確かに、一重だとメイクの幅も限られてくる。

この色を使うと腫れぼったくなってしまって逆効果である、アイプチを使ったとしても10分後には一重に戻ってしまう。

二重整形をしている人達を見ると二重になった自分を見て、嬉しくて泣いている人が非常に多い。

私はそれを見て、二重はみんな憧れているものであるということを知ったと同時に、これだけ一重の人と会わないっていうのもそういうことなのかなとか色々考えてしまった。

逆に私のような一重を貫く人間が将来的に少なくなるとすれば、私は希少な人になるかもしれない。笑

なぜみんなそんなに二重に拘るのか、
二重の方が目の幅が広く、目が大きく見えるから。
絵を描いていた時に、目の上に線を描くか描かないかでかなり印象がかわることがわかった。
そういうことなんだな、と。


今までこんなんだったので、ちゃんと写真に映っていることも少ない私。
思い出の写真にすらも嫌そうに映っている私。

一重にデメリットしか感じない今だけど、
「二重さんばかりでなく、
一重も一重の良さがあっていいんだよ」
と言えるようになりたい。

そんな一重さんの価値を上げられるのであれば、私は被写体として映りに行くのもありなのではないか。

恐怖心や恥ずかしさ、自分の写真に映った姿を見たくないという気持ちはあるけど、なんだかふとそう思えた。

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