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黄金を運ぶ者たち12 ファーストコンタクト③

 クアラルンプール空港には、二つのターミナルがある。第一ターミナルがナショナルフラッグキャリア用、第二ターミナルがほとんどエアアジア専用となっている。

先日クアラルンプールに行った際に、第二を利用したのでわかっていたが、この二つのターミナルは成田同様完全に分離していて、ハッサンの部下がどちらのターミナルに来るのか把握しておかないと合流できない。

まずインドグループが使うとされるマリンドエアが、どちらのターミナルを使うのか検索しててみたところ、第一のようであった。とすると、香港から第一を経由してシンガポールに行くにはマレーシア航空が最適のようである。

インドグループが動く週末に、その便が取れるのか取れないのか、またクアラルンプール予定到着時刻とシンガポールに向かう出発時刻。

 ハッサンと話す前に、この点をハッキリさせておかないと曖昧な話になってしまうため、僕はすぐに仙道に確認を依頼した。彼からの折り返しがきたのは夕刻のことで、該当のフライトは空席もあり、確保可能だということだった。クアラルンプール到着と、シンガポールへの出発時刻もハッキリした。そうなればハッサンとコンタクトである。

 ジョーの紹介があるとはいえ、会った事もない人物に電話をするのは緊張するものだ。話の進め方を何度もシミュレーションした後、慎重にトークアプリをタップした。
「モシモシ〜ハッサンデス」

 数コールした後に少し甲高い、外国人らしき訛りのある日本語で、電話の主は応えた。声色からすると、年輩の男性のようである。
「ジョーさんから紹介された、真田です」
「ハイハイ。ゴールドバーをコウカンしたいんだってね。キイテますよ」
「お願いできますでしょうか?」
「ダイジョウブデスヨ。クアラルンプールにワタシのブカがイキマス、ナカのスターバックスでマチアワセしましょう」

 ここで、僕は少々気になっていることを慎重に切出した。
「ありがとうございます。ただ僕が持っているゴールドがホンモノかどうかとか、心配になりませんか?良ければシンガポールにいきますから、そこで交換するというのではどうでしょう?」

 ジョーとも今日会ったばかりで、ハッサンはそのジョーに紹介されて、電話で話しただけである、そのハッサン本人ならともかく、その部下と、アウェイのクアラルンプールで交換ということに、警戒心が働かないはずはない。ニセモノを掴ませるなど罠があるのか、それとも何らかの事情があるのか。

 そこでやんわりと、わざわざ面倒な方法を採ることに対して探りを入れたのだ。
 それに対してハッサンの答えは明確だった。
「アナタがシンガポールにゴールドバーをモチコムには、インポートパーミットをとるヒツヨウがあります。それをジュンビするジカンがありません。インポートパーミットなくゼイカンにミつかったら、ボッシュウデス。ホンモノかニセモノということにカンしては、ワタシはニホンジンをシンヨウしてます。アナタこそニセモノとコウカンされるのがシンパイなら、コウカンやめますか?」

 理にはかなっているし、僕の不安を察するあたりハッサンも馬鹿ではないらしい。不安要素はあるが、ここはハッサン言に従うことを決めた。
「クアラルンプールで交換お願いします」
 僕は、電話で見えぬ相手に頭を下げながらそう言った。それから待ち合わせの時間などを打ち合わせ、シンガポールに着いた後に会う約束をして電話を切る。これが、後に浅からぬ縁となるハッサンとのファーストコンタクトだった。

 電話を切った後、仙道にすぐ連絡して航空券手配を依頼。

 ここで大きな問題が露呈した。岡島と大崎はエアアジアでクアラルンプール往復の予定だった。ということは第二利用である、僕は往路第一ターミナルで金塊を交換し、シンガポールに行き、復路で第二を経由して香港に戻る予定だったが、この復路のシンガポール→第二→シンガポールがないらしい。一度マレーシアに出国しなければ乗り継ぎできないとのことで、僕が第二で二人に金塊を渡すのは、不可能ということだった。

 代替案として、仙道は大崎をシンガポールに向かわせ、シンガポールで金塊を受け渡し、第二経由で岡島と合流してもらい帰国させるプランを提案した。

 ところで、ハッサンのシンガポールに金塊を持ち込む際に許可が必要という話は初耳ではあったが、元々シンガポールには持ち込むつもりはなかった。

 おそらくハッサンも知らないだろうし、知る人は少ないようだが、シンガポール・チャンギ空港のトランジットエリアには、荷物を預ける場所があることを僕らは把握していた。ここで入国前に金塊を預け、シンガポールに出れば持ち込んだことにはならない。ポーター女子への受け渡しが、シンガポールになったことで、僕のフライトは往復マレーシア航空第一ターミナル経由で手配することになった。

 仙道とそのようなやり取りが終わった頃には夜も更けてていた。これでスーパーキャッチの段取りが全て整ったことになる。シンガポールへの出発は翌々日。ファーストコンタクトの緊張感を日に二つも味わい、ひと仕事終えた満足感に浸りながら僕はまどろみに落ちた。

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