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黄金を運ぶ者たち7 ガサ入れ②

 北千住駅前の「サンローゼ」という喫茶店は、残念ながら二〇一七年に閉店してしまった。チェーン店にはないアットホームな居心地の良さと、都心の店では見られない広々とした空間が売りだった。外階段を昇って、二階のエントランスから店内に入る構造のため、階段の上で佇んで下を見遣れば、やってくる人物に尾行がついていないかのチェックもできると思った。

 摘発からガサ入れまでのこの二週間。ボスにしろ税関にしろ、あまりにも沈黙状態が続いていたことで僕の不安は増幅していた。今にして思えば、少々被害妄想じみた精神状態だったかもしれないが、結果的に功を奏したとも言える。待ち合わせする場所選びから、ナーバスになっていた。

 階段上のエントランス前で三〇分程佇んでいると、仙道が駅の出口でキョロキョロと店を探している様子が見えた。看板を見つけて、こちらに向かってくる。尾行の様子はなさそうだった。階段を登りきったところで、彼はようやく僕に気づき
「あ、真田さん。中で待ってるかと思いましたよ」
 と呑気に声をかけてきた。
「ここから見下ろして、仙道くんに尾行ないか確認していたんだ。仙道くん、国家権力をナメない方がいいよ」
 切羽詰まった僕の目の色に、一抹の狂気を感じたのか、あるいはガサ入れがあった報告が不安にさせたのかはわからないが、仙道はゴクリとツバを飲むと、無言で頷いた。
「利根川さんとは連絡取れてる?」
「あと二十分ぐらいで到着予定、とメッセージがありました」
「だったらここに立って、利根川さんに尾行がないかどうかを見ておいてもらえない?僕は先に店に入って席を確保してくる」
 そう言い残し、エントランスの動きを見張ることのできる、奥まったボックス席を確保し、ソファーに深々と座って大きく息を吐いた。

 ほどなくして、利根川が現れた。尾行はなかったようだ。僕が利根川より待ち合わせ場所に先んじることは、この日が初めてだったかもしれない。
 仙道と二人で僕の向かい側に腰をかけ、正面からマジマジと僕の目を覗き込んできた。体育会系の利根川さんは、いつもならば「元気な挨拶」を自分からしてくる人なのに、この日は無言だった。そして僕を見据えたまま、しばし間を置いて、言い難そうに話を切り出した。
「真田さんにはごまかしは効かないと思うので、正直に言います。ガサ入れの件、どうも信じられないんですよ」
 利根川は気まずいのか、そこで目を伏せると、続けた。
「ボスにも連絡をしたんですが、この案件でガサがあったケースはないと言うんですよ」
「じゃあ、税関が家に来たのは僕の幻聴か妄想とでもいうわけ?」
 僕は流石に憮然とした口調でそう言った。
「そこまでは思っていませんよ。我々に尾行がついているとかいないとかまで考えるなんて、ちょっと神経質が過ぎるなぁ、とは感じていますけど」
「ガサがあったと話すことで、僕に何か利益があると思いますか?」
「それはね…まぁこれはボスが言っているのですが、『騒いで迷惑料でもせびるつもりじゃないか』と…」
「はぁ?」
 僕が立ち上がらんばかりに声を荒げたのを手で制して、利根川が話を続ける。
「いやいや、私はそうは思っていませんよ。しかし税関は、真田さんに話の続きを聞きに来ただけなのかも知れないでしょう。家宅捜索というのは、やはり考え過ぎですよ」
 一瞬、カッと頭に血が登ったが、すぐに怒りを通り越し、冷ややかな気持ちになった。皆の現状認識は、ここまで甘いということだ。気付いた僕は、もはや怒る気にもなれず、小さく溜息を吐いた。仙道に目をやると、僕と利根川の間に流れる不穏な空気に居た堪れないのか、俯いたままひたすらアイスコーヒーを啜っている。

 僕は落ち着きを取り戻し、あえてゆっくりと利根川に話しかけた。
「確かに、利根川さんの言うように、まだガサがあった訳じゃないですよ。ならば明日にでも税関が再訪したら、覚悟を決めてガサ入れを受け入ましょうかね。押収品目録でも見せれば、みんな信じてくれるということですよね」
「そうですね、ボスもそれを見たら信じるしかないでしょう」
「わかりました、じゃあ明日、またここで会いましょう。でもね、利根川さん。僕は信じるとか信じないとかの水掛け論じゃなくて、みんなも警戒して、証拠になりそうなものを処分したり、備えたほうがいい、という話をしたいんです。利根川さんに話を聞くかぎり、ボスも事を簡単に考え過ぎているようですから」
「もっともな話です。私も気をつけます」
「そもそも全日空の航空券を、香港からの帰路だけ片道購入した人間なんて、少数だからすぐ割り出せるハズですよ。摘発された日の取り調べでも、『誰かの指示で運んだ』ということを前提にした質問ばかりでしたからね」

 僕はどうしても言いたいことだけ、やや強い口調で伝え、話を切り替えることにした。
「そういや、僕の後もキャッチされた人がいたんですって?」
「そうなんですよ、我々とは人間関係はないんですが、ボスは『広島チーム』も抱えていまして。そこの堀という男がどうしようもないマヌケでね」
僕が話を変えたことで、利根川はホッとしたように笑顔を見せた。
「なんたって出発の時に、羽田空港に手ぶらで現れたらしいんですよ。ホテルには洗面用具もあるし、一泊ならパンツもいらんってことでね。そこでボスが慌てて羽田空港内のショップでキャリーケースを買い与えたんです。でも香港でも土産物すら買わなかったようでして、帰国時に税関を通る時、キャリーケースの中は空っぽのまんま。開けられたら最後、不審がられるに決まってるでしょう。で、即座にボディーチェック受けて、別室行きです」

 さっきまでと打って変わって、利根川は饒舌である。どのみち僕も、深夜になるまで帰宅できないと思っていたため、時間潰しをしたかった。そこから二時間近く三人で喋り続け、明日の午後またここで会う約束をし、解散した。
まだ帰宅する気になれない僕は、北千住の街を無駄にウロウロして、パチンコや本屋で時間を潰し、夜半に家に戻った。身も心も疲れ果てていた。今朝の騒動が夢であるかのように、自宅前はしんと静まり返っている。
(本当に夢ならいい。利根川やボスが疑うように、いっそ僕の妄想ならそれでいい)
 そう思いながら倒れるように眠りについた。

次話 7 ガサ入れ③

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