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ワンシーンだけ小説を

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お母さん、あのね。

お母さん、あのね。

まだ私がランドセルを背負うようになる前の話だ。
私の通っていた幼稚園では父兄によるお楽しみ会と呼ばれる行事が一年に数回あった。文字通り親たちが自分の子どもと楽しむための会で、歌を歌いながら踊ったり、大きな積み木を重ねたり、大人と子どもが入り混じって園庭でかけっこをしたり、その時々に合った内容を親子で楽しむといったものだった。
この時は大人たちが人形劇をするらしいということを前もって知らされていた。

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一目惚れ

忙しなく行き交う人々の頭上には、彼らの何十倍もある高さの建物が空に向かって伸びていました。青空のどこかで輝く太陽は隙間なくそびえるコンクリートの林によって隠されていました。新宿はいつでも人で溢れていて、下手に立ち止まろうものなら四方八方から不機嫌な表情が舌打ちとともに飛んでくるので、地図を確認したり誰かを探したい時は邪魔にならない壁際に行かねばならないのでした。
はじめの頃こそ、この街の迷路のよう

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16OctH21

16OctH21

彼は家の裏の、私が小学校の頃に愛用していた錆び付いた黄色い自転車の陰に横たわっていた。いつもなら学校帰りの私を出迎えてくれるはずの毛むくじゃらな姿が見当たらず、名前を呼びながら庭中を探し回ってやっと見つけたのだ。11月になるとはいえ暑い日が続いていたのでいつものように地面に穴を掘って涼んでいたのだろう、と思いついた私はようやく見つけた喜びと心配したことへの不満をブツブツと呟きながら近づいたが、様子

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H2107

H2107

本当に能力がある者はむやみにそれをひけらかすような真似はしない。能ある鷹は爪をかくすという言葉があるが、反対に未熟な者ほど周囲に自分自身の存在を誇示したがる。能力に自信があるものは必要以上にその部分をひけらかし、秀でた能力を持ち合わせていない者は他人の功績を盾に自らの地位を上げようとする。そして必要以上に膨れ上がった自尊心は、現実から目を背けさせるとともに真実の友を遠ざける。

窓際の後ろから二番

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H2006

H2006

はじめては好きな人じゃないと。などと言い始めたのはどこの誰なのかとふと疑問に思う。自分が好きな人に捧げるのが正解なのだとすれば、相手もこちらに特別な感情を抱いていることが必須条件となってしまう。相思相愛状態が永遠に続くとも限らないのだし、その場限り愛情をもって臨めば充分資格があるのではないか。そもそも人間も幸運にも四足で歩行していないだけでそこいらの動物と同類なのだから、遺伝子に刷り込まれた衝動が

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H2005

H2005

思案に暮れる春に生きる少年らにとって、異性との性交渉を済ませた同級生は勇者であり、崇め称えられる存在であった。だから夏休み直前に発生した「1組にセックスした女子がいるらしい」という噂は、彼らに十分すぎるほど衝撃を与えた。休み時間の度に男子はニヤニヤ笑いを隠そうともせず手当たり次第に女子を捕まえて質問を投げつけていった。そんな彼らに対し「男子サイテー」と遠巻きにヤジを飛ばす女子も、赤く染まった耳だけ

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H1904

H1904

「君のお母さん、なかなかきつい人だね」
螺旋状の階段を登りながら小声で耳打ちされた。まったくだ、と心の中で同意をする。何処の馬の骨ともわからぬ男を連れ込む私にも確かに非はあるが、年頃の娘の交友関係を根掘り葉掘り暴こうとしてくるのには、自分の親ながら過保護すぎて窒息しそうになる。
「さすがに部屋の中には入ってこないと思うけどね、まあ楽にしてよ」
後ろ手に部屋の扉を閉め、客人に座るよう促した。緊張した

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H1903

H1903

鼓膜が破れそうになるほどの蝉の絶叫が降り注ぐ林の中、すぐ目の前を蟻が列をなして横切って行くのを眺めながら、のし掛かる重みを力なく受け止めていた。倒れた衝撃で靴は片方脱げた上に衣服は土にまみれてしまったし、擦り傷でもできたのか体の数カ所がチクチクと痛む。虫けらから視線を外し自分を押し倒した男をきっと睨むが、相手はまったく意に介さない様子でにこやかな表情をこちらに向けていた。
「このまま挿れてもいい?

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H1901

H1901

「性に目覚める」という言葉について考えた。ここでいう性は俗に言う”いやらしいこと”だろうが、それに目覚めるというのはどういうことなのか。いやらしいことだということに気がつかず興味を持つことを指すのか、そうと知ってて故意にその領域に足を踏み込むことなのか。いずれにせよ周りの大人たちにはこの変化が訪れたことを安易に漏らしてはいけないということは理解できる。性の目覚めが人に知られてはならぬ秘密が増えるこ

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リミッター

人に対して強い感情を抱くのは、途方もなく労力のいることだと思う。にもかかわらず彼女はいつも僕に対して主張してくるし、おかげで僕自身はいつでも都合のいいときにその体を味わうことができている。大学の友人たちは僕のことを羨むけれど、彼らは僕がどんなに傷ついているかなんて知らないのだ。彼女はとてつもない労力をかけて僕に治らない傷をつけようとしている。

「あなたが好きよ」
まつげにいくつも涙をちりばめなが

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if

「歳下は趣味じゃない」
と自分が言ったのが聞こえた。目の前には先ほどまで無邪気な笑顔を浮かべていた君が、そのままでいるべきか泣くべきか迷ったあげく不自然な表情で固まってしまっている。数秒の間をおいて押し出されたのは、何の温度もない「そっか」という一言だった。健気なやつ、犬みたい。とんでもなく非道いことをした相手にこんなことを思いつくなんて、とうとう私もずるい大人になってしまったな。そうひとりごちな

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