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イドの怪物

勉強
読書

鉄腕アトムと一緒に大きくなった世代だが
いわゆるSF的SFとの出会いは「禁断の惑星」が初めてだったと思う。
(公開自体はアトムより前の1956年)
初めて見たのがまだ中学生くらいだったので
いろいろわかりにくいところがあったが特にわからなかったのが
「イドの怪物」。
その星に深い井戸があって、そこから怪物が出てくるんだと
大人になるまで勘違いしていたのは私だけじゃない
はずだ。
「イド」が深層心理を表す言葉だと初めて知ったのは
二十歳くらいのときにユング心理学をちょびっと勉強したときだった。
「イド」とは自分では決して意識することのできない心の底なのだ。
だから禁断の惑星では自身の「イド」の暴走を止めることができない。
源氏物語で六条の御息所の生霊が葵の上を苦しめるが
これもイドの怪物のなせる業といってもいいと思う。
そしてこの決して意識することのできない
「イド」=「太古からの怪物」を自身の中に持っていることに
自分自身かなり恐ろしく不安になったが
その後、人間は「学習」によって相当量の行動をコントロールできる
と確信できたおかげで不安が少なくなったのである。
それでも自身の「イド」が暴走するときはあるだろうが
それは命の危険があるときだと思っているので
それじゃあしょうがないよね、と悟ったのだ。
にんげんだもの。

その後、ずいぶん大きな大人になってから
「禁断の惑星」のDVDを購入して改めてメモを取りながらじっくり観た。

イマドキの人がこの映画を見たら
CGがお粗末だとか背景が古臭いとか科学的に突っ込みどころ満載だとか
ボロクソに言われそうだが
私が生まれた年に公開されたこの映画からは
種々様々な要素がたくさん汲み取れると思う。
1956年と言えば第二次世界大戦が終わってまだたったの10年後で
原子爆弾を手にしてしまった人間は科学への不安を持て余してしまう。
この映画の一番のスターは召使いロボットのロビーだと断言できるが、地球から来た司令官は「使い方を誤れば恐ろしい兵器になる」と。
ロビーには新登場の恐ろしい兵器・核兵器が投影されているのだ。
ロビー、恐ろしい子…
さてそこで改めてイドの怪物ですよ。
二十歳ごろ、無謀にもユング心理学に挑んでもちろん挫折したのだが
理解しづらかったことの一つが
人類共通の「元型」という考えだった。(おググりあそばせ)
無意識の中に深い井戸があってそこに人類すべてに流れる水脈が・・・
え、やっぱりイドは井戸じゃん!(違
全人類の深い部分での横のつながりというのが
全人類に通じるテレパシーみたいな感じで、理解しきれなかった
そういう過去を、ある時読んだ本で思い出したのである。
「縄文人はなぜ死者を穴に埋めたのか 墓と子宮の考古学」
大島直行著 国書刊行会 
この本は縄文時代の人たちが何をどのように感じて・考えて行動したのかを
民族学や民俗学や心理学や神話学を総動員して解き明かしたものだ。
野心的な論考と考古学者への痛烈な批判が快感(違
引用されたたくさんの心理学の論考の中にユングの元型があって
今度こそ理解できた。(と思う)

自分の理解としては

人間が考えたり感じていたりしているところは、脳、すなわち身体で  
人類の根源的な考え方と感じ方は
人類共通の脳・身体の構造から来るものだ。
違うのは、積み上げられた技術と習慣の方なので
同じ構造の脳と身体を持っている人類ならば
根源的な考え方と感じ方は共通なはずだ。
ゆえに
人類には共通の根源的な考え方と感じ方
すなわち無意識下の「元型」がある

という事だった。

だからもしもこの先、人間の根源的な考え方と感じ方が変わるとしたら
それは人類の脳と身体が変わるからで
そうなると連綿と伝えられてきた古典も廃れることだろう。
古典とは人類共通の考え方と感じ方があればこそ
それらが変わらなかったからこそ生き残ってきたモノなのだから。

ちなみに
この「禁断の惑星」の骨格はシェイクスピアの「テンペスト」だ。
何かでこのことを知って、「あーっ!」と驚いたものである。
確かにそうなのだ。
離れ小島で暮らす父と娘がいて外界からの闖入者と対立する父親。
父と娘とよそ者の男♪ナント古典的な。

あ、知ってました?そうですか。

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