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文鎮

子育ての風景

数年前、親戚の家に空き巣が入った。
身内に不幸があって、お通夜で家を留守にした晩だった。
新聞のお悔やみ欄を「参考」にして空き巣に入る不届きモノがいるのだ。
空き巣も情報を活用してるのだなあ
などと感心している場合ではない。
身内の不幸と空き巣で二重のダメージを受けて
そこのおばあさんはしばらく寝込んでしまったとか。
家にあった現金をへそくりも生活費も全部根こそぎ持って行かれて
その上香典も置いてあったということで
被害は数百万円にも及んだと。
留守番がいたら防げた被害だと思うと
留守番の防衛効果は侮りがたし、と思った。

イマドキは留守でも人がいるように見せられる装置がいろいろあって
照明がタイマーで点灯したり、テレビのような光を出すものもある。
そうだ、映画の「ホームアローン」では
家にいるのは子ども一人なのに
まるで大勢でパーティーをやっているように見せかけていた。
普通なら空き巣に入らないのだがそこは映画だから♪
このことで
ウチも含めて親戚関係では「お通夜の晩には留守番を」と再認識された。
うちのおばあちゃんは
昔はお通夜の晩には近所の人に留守番を頼んだものだ
と言っていた。近所づきあいが濃い時代があったのだなあ。
あ、ちなみに
今どきは斎場の方が「こちらでお守りしますので、よろしかったらどうぞお家に帰ってゆっくりお休みください」というのもあって、なるほど親族の高齢化もあってお通夜に具合が悪くなる人もあるだろうし、ウチの親戚のように空き巣の被害もあってのことなのだろなあ、と。
さてそこで
留守番というのは
一見何の仕事もしていないように見えるが
居るだけで仕事をしている、という
文鎮のようなお仕事の価値はもっと認識されていい。
自分が段々と色々なコトが出来なくなってきたとき
最後に出来る仕事はじっと座って動かずに
「表をなんとなく見ていること」だと思っている。
わが家には居間にも仏間にも大きな窓があって外の様子が良く見える。
だから、自分がこの先あまり動けなくなったら
陽のあるうちは携帯を懐になんとなく外を見ていようと思う。
通報する気満々w


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