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『地球人間』 / 村田沙耶香| サウンドノベルゲームのバッドエンド

村田沙耶香作品を読んだのは『コンビニ人間』に続き2作目。
どっちもテーマとしては似ている作品だと感じたけど、他の本はどうだろう・・・
ストーリーは相変わらず世の中に対して生きづらさを感じている人がたくさん出てくる。社会を「工場」と言ったり、タイトル通りみんなは「地球星人」で自分は違う星の人間と言ったり・・・ただ別にファンタジーではなくとことんシリアスな話だったし、ラストは読み始めた時の感覚と全く違う感覚を味わわされる展開だった。

『コンビニ人間』はあくまでサイコパスの女性がコンビニでは社会の部品に慣れて安心できる、みたいな話で、別に悲しみなんてなく、なんなら楽しい話だった。ただこの本の主人公の女性はただただ可哀想だった。

親から虐待された結果、サイコパスというより、精神を病んでしまった人としか感じられず、楽しいどころかずっと同情の気持ちで読むことになった。

結婚したり子供がいないと心配される、みたいなハラスメント的行為を、地球星人は変だなあ、でも羨ましいし私も洗脳されたら楽に生きられそう、と主人公が自身を宇宙人と捉えて俯瞰する行為も、現代社会の生きづらさを浮き彫りに、というよりもこの人可哀想・・・が勝ってしまう・・・

主人公の夫が、変なことをしたいので、近親相姦的なことをしようみたいな狂った行動をとろうとすると、主人公は特に反対もせず、周りの人を驚かせていたり、『コンビニ人間』だったら楽しめた要素も、主人公の心が死んでいる理由を知っている読者からすると、ただただ辛い。ただそれを味わうよう作者は仕向けているんで、狙い通りではあるか・・・

しかも「友達に久しぶりに会えて嬉しい」みたいな、人間らしさ、この本でいう地球星人らしさが、主人公には所々感じられるところも痛ましい。最後は「これは恋では・・・」みたいなことまで言い出していて、その中途半端にでてくる人間らしさが、サイコパスに完全になりきれていなくてますます可哀想・・・

しかし、ラストの完全に宇宙人として山奥で暮らし始めるのは個人的にかなり好きだった。昔の筒井康隆の小説のスプラッター描写を思い出した。

ラストは裸で暮らして時々食べ物を盗んだり、好きな時に寝る、目的は宇宙人として生き延びることのみ・・・という原始的な生活描写が続き、最終的には人まで食べる。この展開、というかぶっ飛んだ流れになんか既視感を感じて、なんだろうと考えたら、あれだ、昔のサウンドノベルのバッドエンドっぽいんだ。「かまいたちの夜2」とか、「ざくろの味」とか・・・

あの感じすごく好きだから、前半とのギャップにやられたな。
しかし可哀想、可哀想言っといてなんだけど、普通に面白い小説。あんまり虐待描写がある小説は読みたくないけど・・・昔のサウンドノベルが好きな人におすすめです!

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