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グーテンベルク聖書と活版印刷

昨年末、クリスマス企画としてグーテンベルク聖書を図書館で展示するという新聞記事を目にした。とても興味を持ったので見に行くことにした。

活版印刷を発明したドイツのヨハネス・グーテンベルク。
1455年頃にヨーロッパ初の聖書の印刷を行っている。
ほとんどのページが二段組42行の組版であることから「四十二行聖書」とも呼ばれている。
レイアウトは中世写本の伝統を受けつぎ、ゴシック体を使用。
180部から200部程度の印刷部数と推定され、今も現存しているのは世界中で48部だそう。


この方がグーテンベルクと言われています


活版印刷と言っても全てが同じではなく、購入者の注文で装丁画家が細密画を描き加えている。ドイツのベルリン国立図書館が所蔵する「ベルリン本」にも美しい装飾画を見ることが出来るそう。
私が見た展示資料は1977年にドイツのイディオン社が限定895部製作した複製品ということだ。カバーにカーフレザーが使われ、鋳造真鍮製の装飾金具で保護され、二つの留め具が付いている。手漉きの紙にグーテンベルクが使用した模様が施され、徹底的に再現しようという意志が感じられる。



この展示の近くに関連する書籍が並んでいた。借りられるということで、パラパラとめくり一冊を選んだ。
(県図書館の利用カード作りました!通うのか?私…。)


「ヨーロッパの出版文化史」 戸叶勝也 著  朗文堂

以下、本当に簡単にまとめました。

グーテンベルクが活版印刷を発明する以前

書物の製作は修道院で行われていた。キリスト教に関連した書物の書き写し作業は神への奉仕だった。

12世紀になり、大学がヨーロッパに生まれると大学内に筆写工房が出来て、修道院や宗教関係者の独占物ではなくなってしまった。先進地域としては北イタリアのボローニャやパドヴァ、フランスのパリなど。パリ大学に留学していたバイエルンやオーストリア出身の学生によって故郷の修道院へもたらされ、14世紀にドイツ語圏の各地の大学へ広がったそう。

15世紀半ばの活字版印刷術の発明

1400年頃マインツで産まれたヨハネス・グーテンベルク。
大学卒業後、金細工の技術を職人から学び、さらに金属加工の技術に磨きをかけてゆく。1505年の書物にこう記されているという。
「ヨハネス・グーテンベルクが1440年にシュトラースブルクで書籍印刷術を発明し、のちにマインツでこれを完成させた」

グーテンベルクは聖書を印刷して普及させたかった。
マインツの商人で金細工師でもあったヨハネス・フストから融資を受けるのだが、四十二行聖書の印刷には莫大な費用と労力、そして長い時間がかかった。それ故に全てが完成する前にフストから訴えられ、グーテンベルクは敗訴して全てを取り上げられてしまったのだ。
(なんて気の毒な…。)

別の印刷工房で出資を受け、小出版物やラテン語大辞典の印刷を続けたグーテンベルク。60歳の頃に起きた、マインツ大司教の座を巡る争いに巻き込まれ、街を追われることになるが、やがて新しい大司教に宮廷の廷臣として召し抱えられ、経済的にも援助を受けることが出来たのだ。
グーテンベルクの死亡を公式に伝えるものは存在しないということだが、死後に印刷された書物の中に1468年2月3日に死去したと書かれているそうだ。


筆写作業で書物を書き残していた時代に現れた新しい技術。この大きな発明に驚愕する人々を容易に想像できる。筆写なんて苦痛…。(笑)
noteの記事が書けるかなと思って、すっかり重たくなっている腰を上げて見に行った。今回のこの歴史はとても興味深く、学ぶ機会を逃さなくて本当に良かったと感じた。


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