見出し画像

本心をみないふりしてきた。ごめんね私。


 私は、10歳頃から40歳になるつい最近まで、ずっと本心を見ないふりをしてきました。
 
 そんな自分の心に、「これまで本当にごめんね」、「そしてこれからは」という、心とのつきあいのお話です。

■幼い頃は感情豊かだったはずが…

 幼稚園生までの私は、感情豊かで、好きなことや心地よいこと、やりたいことが自分でよく分かっていました。
 ですが、小・中学生へと成長するとともに、家族や友人などとの関係の中、感情を感じないよう抑圧するようになっていってしまいます。

 なぜならその頃は、寂しさや悲しさ、罪悪感などのつらい感情を受け入れられる心がまだ育っていなかったからです。それらを感じないほうが楽で、安全でした。
 
 自分の心を守るため、こどもだった私は無意識にそうしてきたのです。読んでくださっているあなたにも、そういう経験があったりするでしょうか?

■感情を抑圧、そして自分の感情が分からなくなる

 感情を抑えているうちに、自分がどんな感情を抱いているのかさえも分からなくなっていきました。哀しいことや腹立たしいことだけではなく、何が喜びで、どんなことに楽しさを感じるのかも。
 
 そんな状態は、仕事で心身を崩し挫折する20代半ばまで続きました。15年以上も自分の感情を抑圧してきたことに気が付いたそのとき、「私の中にこんなにも鮮やかな感情があったのか…!」と、半身浴中で素っ裸のまま、嬉しくて涙が溢れたこと…!

■感情を取り戻すも、心とのつきあいにはまだ先があった

 そしてその後も時間をかけて、とてもゆっくりな成長ですが、自分に感情が湧くこと、それはどのような感情なのかを感じられるようになっていきました。

 しかし、そのように成長し、歩みを進めているうちに、私はあることに気づきました。「感情を取り戻すことがゴールではなかった…!」と。私はその後、再びつまずくのです。

 心とのつきあいには、まだその先がありました。感じる、の先。感じたこと、つまり心がこうしたいと思ったことを大切にすることです。「本心と違うことをしない。大切にして叶えてあげる」こと。

 自分の感情自体は、わかるようになってきました。自分にとって悲しいとか怖いとか、そういった嫌な感情もみないふりをせず、感じてちゃんと味わえるようにもなりました。

 逃げずに感じて、少しずつ育ってきた自分の心で受け止められるように、ようやく最近なってきたのです。

 しかし一方で、自分の感情がよく分かるようになってきたからこそ、本心と違うことをすることができなくなってきたのですね。

■内からの本心に従って生きたい

 この変化は、私がずっと外からの目を基準にして、他人軸で生きてきたということの気づきも関係しているかと思います。この数年で、やっと目が覚めたような感じがしています。
 
 私は小中学生の頃からずっと、社会や周りの人からいかによく思ってもらえるか?評価してもらえるか?を基準にした生き方を無意識に選んできました。

 ですが、そういった外側のことよりも、自分の内側のこと、つまり本心を大切にして自分軸で生きる方が心を満たし、喜びを感じられるということを体感し、気がついたのです。

 そろそろ、外からの目ではなく、内からの本心に従って生きるという覚悟を決める時が、私に来ていると感じています。

 最近、「本心をみないふりしてきて、ごめんね。これからは大切にする。私はこうしたいという気持ちを、叶えていくね。」と、自分の心に向けて、自然と湧き上がる気持ちをたびたび感じています。

■これからの心とのつきあい

 生きてきた年月の中で、本心をみないふりする癖ができてしまったし、本心を叶えるのは容易にはできない事柄も、勇気が要る事柄もあります。

 それでも私は、できるだけ心に注目して大切にし、心と相談しながら、たくさんの喜びを胸にじんわり感じながら生きていくことを、選び続けたいです。

 これからの心とのつきあいはきっと、たくさん壁にぶつかると思うけど、喜びと愛に満ちたものになっていくと感じていて、とても楽しみです。

 みなさんは、どんな風に心とおつきあいされてきたでしょうか?きっとそれぞれに、十人十色の違ったストーリーがあることと思います。

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?