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住みたい場所はひとつ

『どこでも住めるとしたら』

と言われても、住みたい場所は1ヶ所しかない。

昔のように、家族みんなで暮らせる場所。

そう、あの場所。

2011年3月12日に避難して以降、ひたすらに帰りたいと願う場所だ。

周りから、
「なんでそんなに帰りたいの?」
と聞かれる度に、
「家に帰りたいと思う事は普通じゃないの?」
と、逆に聞きたくて仕方がない。

『家に帰りたい』

そう思って何がおかしいの?

今住んでる家も私の家だけど、私たちの『家族の家』ではない。

「じゃあ、どこかにみんなで住む家を建てればいいんじゃないの?」

そう言われた事もある。

でもね、それじゃ家族全員が納得して暮らせないのよ。

「あの場所がまだ残っている。帰れるかも知れないのになぜ別の場所に?」

そう思ってしまう。

多分、
「あの場所には生きている間に帰るのは無理です。」
とか言われたら諦めもついて、何処かにみんなで住もうかとかいう話にもなるのかも知れない。

けどさ、そう言われてない。
「帰れる」
と言われている。

そう言われたら、帰りたいじゃん、自分ちだもん。

なので、『どこでも住める』と言われても、住みたい場所はひとつです。

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