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【イベントレポ】「都市にひそむミエナイモノ展 Invisibles in the Neo City」


こちらの展示イベント(会期:2023年12月15日から2024年3月10日)は、都市生活を支える隠れた技術の紹介を通じて“ミエナイモノ“を体験型、鑑賞型展示として、可視化し、未来の都市生活を想像するヒントを提供しようとするものである。

鑑賞して思ったのは、よくある難解な現代アートの展示よりも理解がしやすく、また理解をサポートするような工夫もあり、いい展示イベントになっていた。平日の昼間で、来場者は数える程度。一部エリアは、フリースペースとなっており、リモートでの打ち合わせをしているビジネスマンが多かったのが印象的だった。おそらく、週末はそれとは異なる光景が見られるのだろう。

東京都旧丸の内庁舎の跡地

会場は、有楽町のTokyo Innovation Baseのある建物の1F(東京都千代田区丸の内3-8-3)。ここは、東京都旧丸の内庁舎の跡地で、1998〜2000年までTAKARAZUKA1000days劇場という宝塚歌劇団の仮設劇場があった。当初、解体される予定だったが、そのまま使用することとなり、「インフォス有楽町」と改称され、以後、ソフマップ、ビックカメラ、無印良品、ロフトなどが入居した。近年では、東京オリンピックや新型コロナの一時的な療養施設として利用された。

以下で、展示について触れるが、全ての展示ではなく、自分が関心を持ったもののみを対象としたい。

【展示】都市でAIに見つからないためには?

Tomo Kihara & Playfool
How (not) to get hit by a self-driving car

"How (not) to get hit by a self-driving car"

AIはわたしたち人間の姿をどう提えているのでしょう?たくさんの画像データを学習したAIは、人間と犬の違いを開時に見分けることができます。今後の活用が期待される自動運転車は、そうしたAI技術をもとにさらなる安全性の向上が目指されています。けれど、もし子どもが段ボールのなかに隠れていたら?犬のマネをしていたら?はたしてAIはそれらを「人間」と判断できるのでしょうか。
本作品は、AIに歩行者と検知されないように横断歩道を渡り切るゲームです。AIに人間と検知されたら負け。
つためにはAIの目を巧みにだまして、歩行者と見分けられないような工夫をしてゴールまでたどりつく必要があります。結果、プレイヤーが勝利するたびに「AIが歩行者を検知できなかったデータ」が蓄積されていきます。本作品はこうした遊びを通じて人々の行動の多様なバリエーションを集めることで、従来のデータだけでは気づけなかった新たな視点をAIに与え、今後の技術発展に貢献する可能性ももっています。

リーフレットより引用

この展示があることは事前に把握していた。来場者も数えるほどで、待ち時間もなかったため、2回ほどこの横断歩道ゲームにチャレンジしてみた。結果はいずれも負け(検知された)。

この日のAIとのゲームの戦歴がゲームの後に表示され、AIが83%勝利。人間で勝利をしたのは、いずれも幼児だったそうだ。この人間の勝利のケースをモデルに組み込み、AIの精度を上げることができるのでは、という試み。

検知後
今日の結果

【展示】人工生命は環境からどんな影響を受けるのか?

管野創+加藤明洋+綿貫岳海
かぞくっち

都市の見えないところで、人工生命の家族が自由に暮らしている。(かぞくっち)は、そんな未来の姿を予見させるデジタル人工生命作品です。ここでは東京都の勾配を模した展示台の上を、小さなロポットたちが動き回っています。実はこのロポットは、かぞくっちの「家」。その家のなかでは人工生命の家族が暮らしています。それら個々の生命はNFTに登録され、子どもを産んだり、寿命を終えたりといった生の裏跡が記録されていきます。
今回展示された「東京」の舞台では、約10分のサイクルで昼と夜が訪れます。この東京をのびのびと移動す「家」ロボットの周辺環境は、その家で暮らすかぞくっちの生想にも影響を与えます。よく観察してみると、明るさや時間帯、領鮮などの環境によって、かぞくっちたちの性格や形状、行動パターンに変化が起きていくのがわかります。人工生命の視点を通して、普段のわたしたちが都市環境から受ける影響との対比を考えてみるのも面白いかもしれません。

リーフレットより引用

「かぞくっち」は過去にICCで展示されていたものをみたことがある。短時間の鑑賞では、この「家族」たちの特性や傾向を把握することは難しいけれど、小さなロボットが動く様はとてもかわいらしい。会期の終了時にどんな家族が増えてどんな光景になっているのだろう。

【展示】複雑な問題を前に、人とAIはどんな答えを導き出せるか?

Qosmo
Artificial Discourse: すばらしい新世界に向けて

音声で討論する3名(AI)
討論者の設定属性

日々ニュースやSNSから流れてくる話題について、あなたはどれだけ自分の意見を持っていますか?昨今はAIの言語学習が発展し、「ChatGPT」などの生成AIで気軽にAIと擬似的な対話ができるようになりました。そのとき、なかなか答えの出ない複雑な問題について、AIにねてみたらどんな答えが返ってくるでしょう?
これまでAIと人間におけるクリエイティビティの関係を探求してきたQosmoは、今回の新作において、ChatGPTに複数の異なる人格をシミュレートさせ、複雑な問題について議論させました。しかし彼らの会話をよく聞いていくと、お互いを否定することなく、一方で少数派の意見を尊重するわけでもない、「ありきたり」な結論に落ち着いてしまうようです。これはAIのシステムによるものなのか、またはわたしたち自身の普段の姿なのでしょうか。なんでもYESと答えるAIに対して、人はどんなNOを創造することができるでしょうか。

リーフレットより引用

展示されている架空の3人の人物は、生成AIで生成された本物のような人物で、合成音で討論している姿はやはり異様な光景だ。ただ、大規模言語モデルは人間の言説を元にしており、そこでやり取りされている内容や質は、人間同志の対話とそこまで変わらないのかもしれない。

【展示】蘇生するユニコーン

平野真美

人工蘇生されているユニコーン
ユニコーンの骨

実在しない空想上の生物であるユニコーンは、現代において純真さやジェンダーに対して自由であることなど、様々な期待やれの象徴として描かれています。しかし、この作品のユニコーンは生気なく床に横たわっています。平野は、ユニコーンの骨格・内臓・筋肉・皮膚など、身体を構成するあらゆる部位を制作し、そこに酸素や液体を送り込んで擬似的な呼吸や血液循環を促すことで、ユニコーンの蘇生を試み続けます。
私たちが実生活のなかで見失いがちな夢や希望などのミエナイモノもまた、この作品を通して未来に蘇生されうるのではないでしょうか。

リーフレットより引用

実在しない生き物のリアルな姿は、現実と虚構の明確な境界線が揺らぐような不思議な感覚に陥るように感じた。なんとも言えないこの不安な気持ちはどこからきているのだろうか。

【展示】おとずれなかったもう一つの世界のための花火

島田清夏

両国の川開きの花火を起源とする日本の花火大会は、歴史的に「祭り」と「鎮魂」の意味を併せ持ち、江戸時代から都市の夜空を彩ってきました。島田は、COVID-19によって2020年に中止された日本の花火の時間的・地理的データを収集・分析し、あり得たかもしれないもうひとつの世界として、実際にそれらの花火を打ち上げました。日本地図上で、1日を1秒に見立てた365秒の花火パフォーマンスは、はるか上空と横から撮影され、下から見上げるシミュレーション映像と組み合わせて展示されます。パンデミックという災禍を乗り越えた今、現代人のカタルシスを多視点で提え直し、鎮魂と未来への祈りを試みます。

リーフレットより引用
バーチャルな花火が上がる
365日が365秒として再現される

パンデミック下で中止となった全国の花火イベントの開催日と場所の情報を花火を再現する作品。夏に全国の多くの箇所で花火が打ち上がっていることがよくわかる。

最後に

この展示をキュレーションしたのは、塚田有那さん。残念ながら12月16日に逝去された。会場にも掲示されているこの展示へのメッセージを引用したい。

まちなかのなんの変哲もない景色が、ある人にとっては愛する物語の「聖地」になる。多くの人が行き交う都市には、人の数だけ異なる景色が存在します。もちろん、都市にいるのは人だけではありません。虫、植物、AI、ロボット。それぞれの目から見つめる都市の姿は、どんな風にうつるのでしょう?

自分だけが感じる愛着、何かがいそうな気配、ふと発見した小さなできこと。本展では、都市のなかで目には見えないものが起される現象に着目し、8組のアーティストによる、“ミエナイモノたちが未来の都市への想像をかきたてる作品を展開。そこでは、AIや人工生命の目から見た景色や、100年後の人類が暮らす都市の姿が登場します。

あなたも、自分だけのミエナイモノを発見してみませんか?
塚田有那


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