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ASD(自閉スペクトラム症)の「二重共感問題」double empathy problem

ADHD(注意欠如多動症)やASD(自閉スペクトラム症)といった発達障がい。


近年広く知られるようになりましたね。
人間は誰にでも得手不得手はあり、発達障がいは特にその特性が極端な場合を呼ぶと考えています。ここでは、発達凸凹と呼ばせていただきます。

とはいえ、そもそもの前提として
・人間誰しも、発達凸凹はある
・発達凸凹が必ず悪いわけではない
・障がいかそうでないかを明確に分ける必要があるわけではないし、分けられない(自閉「スペクトラム」とはそういった意味ですね)
・障がいが、障がいであるかどうかは身を置く環境や場面によって大きく変わる。WHOの提唱する概念でも1980年の「国際障害分類(ICIDH)」では障がいのそのものしか見なかったのに対して、2001年になり、その人を取り巻く「環境」も重視される「国際生活機能分類(ICF)」となりましたね。
・環境因子として、国や文化による違いも多少あるかと思います。
・世の中は、いわゆる「定型発達」の人間だけでも、「発達凸凹」の人間だけでも成り立たない
・独特の感性や見方、捉え方ができる長所でもある

とは思っています。(今後投稿していきます)

それでも、「とにかく今日この瞬間、生きにくい」とわらにもすがる思いであったり、自分に絶望してしまっている人もいるのは確かです。学校や職場で馴染めなかったり、友人・恋愛関係などでトラブル続きだったり。実際に、退学や転職、離婚、借金、なんらかの処分など、経歴などにはっきりと見える形で失敗体験を繰り返してしまっていることに対して、自己肯定感がどん底になったり、多かれ少なかれ、二次障害として精神疾患などを抱えている人は8割にのぼるといわれます。

そのような意味では、その大きな原因の一つとなっているかもしれない「発達凸凹」について考えてみるのも一つかもしれません。

これから書くことは、「良い」「悪い」ではなく、積極的に診断を受けることが必ず良いことだとは思っていません。

ASDの人々はコミュニケーションに欠陥があるというわけではなかった…?

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